チェッコ・ボナノッテ

Cecco Bonanotte

プロフィール

  「具象彫刻の奇才」「造形の詩人」と呼ばれる現代イタリアを代表する彫刻家。人間を主題に据え、時間や空間までも感じさせる豊かで独創的な作品を生み出している。彫刻を通して「人間の中心にある、喜びや悲しみ、愛情といった深い感情に継続性を与えたい」と語る。《対照》《期待》《綱渡り師たち》など深い精神性をたたえた作品は高く評価され、2000年にはヴァチカン美術館(ヴァチカン市国)の新しい正面入り口の大扉を制作した。日本との関係も40年近くに及ぶ。中冨記念くすり博物館(佐賀県鳥栖市)、サクラファミリア(カトリック大阪梅田教会、大阪市)大聖堂の作品も手掛け、薬師寺(奈良市)など各地で個展を開催。定期的に来日し、東京のアトリエで制作、その合間を縫って京都の禅寺の庭園へ出向き、黙考を重ねるほどの日本びいきでもある。

詳しく

  「具象彫刻の奇才」「造形の詩人」と呼ばれる現代イタリアを代表する彫刻家。人間を主題に据え、時間や空間までも感じさせる豊かで独創的な作品を生み出している。
イタリアの上院「パラッツォ・マダーマ」に飾られている作品、《対話》。ブロンズのレリーフの前に、一人の男性が屹立している像だ。ギリシャ彫刻のような筋骨隆々ではない。極端に細長い手足、へこんだ腹部、どこか凄みさえ感じさせる肉体だが、わずかに右肩を上げ、上空を見つめる顔、そのまなざしの先には、希望と未来が見える。
「人間の根底には、喜びや悲しみ、愛情といった深い感情が流れている。そういった私たちのDNAに備わった根本の部分を、彫刻の形を通して、継続性を与えたいと考えてきた」と語る。ただし、「人間の肉体性には少しも興味がない。興味があるのは内面性だけ」と言い切る。
《期待》《対照》《綱渡り師たち》など代表的な作品に現れる人間像は、手と頭が溶け合ったり、体の一部が欠損したり、頭部が不自然に曲がりくねったりすることもある。だが、彼らは飛び立たとうとするかのように手足を伸ばし、天を仰いでいる。
人間の存在の意味を問いかけるような、深い精神性をたたえた作品は世界各地で評価され、2000年にはヴァチカン美術館の新しい正面入り口の大扉、2006年にはフランスのリュクサンブール美術館の大扉の制作を手がけた。2010年には、イタリア・ヴィンチのサンタ・クローチェ教会内のレオナルド・ダ・ヴィンチが洗礼を受けた洗礼堂に《アポカリプス》を設置した。
1942年、イタリア中部の小さな町、ポルト・レカナーティ生まれ。父は家具職人だった。「おもちゃといえば、木片とかノミ。人形を作っては遊んでいた」。ごく自然に彫刻に興味を持ち、ローマの国立美術学校の彫刻科へ。在学中から数々の奨学金を獲得するなど頭角を現し、注目を集めてきた。
日本とも縁が深く、1975年には沖縄海洋博覧会に《飛翔―期待1975》を出品。95年には設計デザインも手がけた中冨記念くすり博物館(佐賀県鳥栖市)に作品《生命の種》を設置したほか、薬師寺(奈良市)など日本各地で個展を開き、昨年は建築家の息子と共にサクラファミリア(カトリック大阪梅田教会、大阪市)の大聖堂も手がけた。
定期的に来日し、東京のアトリエで制作、合間を縫って京都に行き、2時間ほど禅寺の庭園でたたずむ。「あの簡素さ、厳格さ、調和。それらは私の内面をたっぷりと満たしてくれる。日本は多くのものを与えてくれた」
「作品を通して詩情を表現したい。それが私の最大の野心」と、マエストロは制作に情熱を傾けている。

略歴


1942 イタリア・マルケ州ポルト・レカナーティ生まれ

1959 ローマに移る。ローマ国立美術学校彫刻科に学ぶ

1964 ルーマニア政府の国際奨学金でブカレストの造形美術高等研究所で学ぶ

1965

ローマに戻りアトリエを構える

ローマ国立美術学校と付属美術高等学校で教鞭


1971 初個展(イタリア、ローマ)

1973 『イタリア美術展』に出品(東京、名古屋)

1999 ドイツ・ハノーヴァー万博のヴァチカン・パビリオンに出品

2000 ヴァチカン美術館正面入り口の扉《ポルタ・ヌーヴァ-新しい扉-期待》を設置

2004 ヴァチカン美術館の新しい扉の内側に設置された12人の法王と彫刻《期待-希望》がアメリカを巡回

2005

システィーナ礼拝堂でのコンクラーベのための3つの彫刻による投票箱を制作

『ダンテ-組曲』展がウフィッツィ美術館の版画・デッサン部門で開催


2006

リュクサンブール美術館のブロンズの大扉が完成、設置

『チェッコ・ボナノッテ』展(箱根彫刻の森美術館)


2010 イタリア・ヴィンチのサンタ・クローチェ教会内のレオナルド・ダ・ヴィンチが洗礼を受けた洗礼堂に《アポカリプス》設置