森下 洋子

Yoko Morishita

プロフィール

  日本人バレエダンサーとして、初めて国際的に活躍した「世界のプリマ」。3歳でバレエを始め、松山バレエ団に入団。1974年にブルガリアでのヴァルナ国際バレエコンクールに、後に夫となる清水哲太郎と出場し、日本人初の金賞に輝くと、世界の名バレエ団への客演を重ねた。ルドルフ・ヌレエフとはイギリスのエリザベス女王戴冠25周年記念公演などで200回近くコンビを組んだほか、モーリス・ベジャールも森下のため、『ライト』を振り付け、大成功を収めた。150センチの身体に、情熱的な感情を秘めた踊りは“東洋の真珠”と国内外で高く評価され、日本人として初めて、パリ・オペラ座出演、イギリスのローレンス・オリビエ賞受賞も果たした。数多くの受賞の大半が、最年少の受賞でバレエ界初。舞踊歴61年目を迎える今も、毎日5時間のレッスンを欠かさず、『白鳥の湖』ほか古典全幕作品を中心に、現役プリマとして表現を深化させている。

詳しく

  日本人バレエダンサーとして、初めて国際的に活躍した「世界のプリマ」。パイオニアとして第一線を走り続け、舞踊歴61年目を迎える今も現役を貫いて、定評のある『白鳥の湖』ほか、古典の全幕作品で表現を深化させている。
敗戦直後の広島市に生まれ、3歳でバレエを始める。12歳で東京の橘バレエ学校に単身入門し、のちに松山バレエ団に入団。1974年、国際的に歴史と権威あるブルガリアでのヴァルナ国際バレエコンクールに、後に夫となる清水哲太郎と出場し、日本人初の金賞に輝く。「世界に出る大きなターニングポイントだった」と振り返る通り、以後、モナコ留学を経て、世界の名だたるバレエ団への客演を重ねた。
20世紀舞踊史に名を刻んだダンサー、ルドルフ・ヌレエフとは1977年、イギリスのエリザベス女王戴冠25周年記念公演で相手役の指名を受け、『ドン・キホーテ』のグラン・パ・ド・ドゥで息のあった踊りを披露。以後、欧米などで200回近くペアを組んだ名コンビとなった。
また、フランスの振付家モーリス・ベジャール(1993年世界文化賞受賞)も、森下をイメージして初の女性主演作『ライト』を振り付け、1981年にブリュッセルとパリで世界初演。ジョルジュ・ドンと共演し、大成功を収めた。
1982年にパリ・オペラ座に日本人として初出演、1984年にはアメリカのメトロポリタン歌劇場100周年記念ガラ公演に出演。こうした実績により、1985年にバレエ界初の日本芸術院賞、英国でも日本人初のローレンス・オリビエ賞に輝いた。
世界の名だたるバレエ団から入団の打診も受けたが、一貫して日本という軸足を動かさなかった。身長150センチの身体からほとばしるエネルギーは「静かな中に、情熱的な感情を出せる」と、本人が語る日本人ならではの表現で、“東洋の真珠”とも呼ばれてきた。
現在は松山バレエ団団長も兼ね、昨年は東日本大震災直後、復興の願いを込め、同団を代表する創作バレエ『新・白毛女』に主演。被災した生徒を無償で松山バレエ学校に受け入れるなど、支援にも取り組む。
直接薫陶を受けた英国の名花、マーゴ・フォンテインが引退した62歳を超えたが、今も毎日5時間のレッスンを欠かさず、前人未到の挑戦を続けている。

略歴


1948 広島市生まれ

1960 単身上京。橘バレエ学校で橘秋子に師事

1961 12歳でプリマ・デビュー

1969 アメリカ留学

1971 松山バレエ団に移籍。松山樹子に師事

1974 ヴァルナ国際バレエコンクールで日本人初となる金賞(ブルガリア)

1975-76 文化庁の在外研究員としてモナコ公国に留学。マリカ・ベゾブラゾヴァに師事

1976 ワシントンでのガラ公演にアメリカン・バレエ・シアターの招待で出演。プリマとして世界デュー

1977 英エリザベス女王戴冠25周年記念でヌレエフと『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥを踊る

1981 モーリス・ベジャール振り付けによる新作『ライト』に主演

1982 日本人で初めてパリ・オペラ座に出演

1985 日本人初となるローレンス・オリビエ賞受賞

1987 ローザンヌ国際バレエ・コンクールなど国際バレエ・コンクールで審査員

1997 文化功労者(女性最年少)

2001 松山バレエ団団長に就任

2002 日本芸術院会員に就任