アルヴァロ・シザ

Álvaro Siza

プロフィール

  ヨーロッパの中心からは遠いポルトガルを本拠に活動し、地域性を反映させたシンプルかつ詩的な造形美で世界の注目をあつめる建築家。
  1933年、ポルト近郊マトジィニョスに生まれた。ポルト造形美術学校(後のポルト大学)で建築を学び、ポルトガルを代表する建築家フェルナンド・タヴォラの事務所で働く。55年独立して建築設計事務所を開設。多くのローコスト集合住宅や公共施設を手がけ、周囲の環境に調和し、地域的特色と機能性を兼ね備えた作品を発表してきた。出世作「レサのスイミング・プール」(1966)は、自然の一部であるかのように海岸沿いの岩場を生かしてつくられ、スペインのキリスト教の聖地サンティアーゴ・デ・コンポステラの「ガリシア現代美術センター」(1993)は、隣接する修道院に似た花崗岩を用い、古い町並みに溶け合ったシャープで機能的なデザインとなっている。
その他の代表作は「ポルト大学建築学部棟」(1994)、「アヴェイロ大学図書館」(1995)、マルコ・デ・カナヴェーゼスの「サンタ・マリア教会」(1996)、「リスボン万博ポルトガル館」(1998)など。

詳しく

  アルヴァロ・シザはポルトガルの旧都ポルトに事務所を構え、ポルトガルを中心に建築を手がけている建築家である。ヨーロッパの周縁で活躍しながら、1992年プリツカー賞を受賞し、世界的にも高く評価されている。

スイミング・プールから集合住宅まで幅広く設計をしてきたが、その設計は常に堅実であり、近年の作品を見ても一時代前に流行したポスト・モダンのように人を驚かすデザインではない。
  キリスト教の聖地として有名なスペインの古都、サンティアーゴ・デ・コンポステラに彼の代表作『ガリシア現代美術センター』(1993)がある。古い修道院と隣接して建てられた、直線を基調にしたシャープなデザインに特徴がある。外壁には薄いグレーの花崗岩が使われ、高さも周囲に合わせ、違和感なく環境に溶け込んでいる。「歴史的都市に新しい建物が建つというのは誰でも心配する。だが、既存のものは創造の基礎として大切だ。まったく新しい町をつくるのはかえって難しいものだ。ある種の密度と意味を獲得するには、何世紀もかかることがある」と言う。
  シザは1933年、ポルト近郊の町、マトジィニョスに生まれた。ポルトの美術学校(後のポルト大学)で建築を学び、卒業後ポルトガルを代表する建築家のフェルナンド・タヴォラの事務所で働いた。タヴォラはカルロス・ラモスとともにサラザール独裁政権時代の最後の時期にポルトガルの建築界の再編に尽力した人である。シザは1955年、独立して建築設計事務所を開設、生まれ育ったマトジィニョス近くの岩だらけの海岸をくりぬいてつくった『レサのスイミング・プール』(1966)の設計によって注目を集めることになった。
  1968年、ポルトガルの建築家たちがふたたび海外旅行を認められるようになったとき、シザはまずアルヴォ・アアルトの作品を見るためにフィンランドへ行った。1970年代初期の作品にはアアルトの影響がみられる。ポルトガルの土着のものからとった要素と、20世紀の前衛的芸術からとった要素とを総合している。
  シザの仕事は実に幅広い。それはエヴォラの低価格住宅開発から豪華な別荘、あるいは大規模な公共施設や文化施設などにおよぶ。『セトゥバルの師範学校』、『ポルト大学の新建築学部棟』、『アヴェイロ大学図書館』などである。また、シザは1988年の大火で破壊された18世紀のリスボン・シアド地区の再建計画を手がけている。この再建計画でシザは、焼失した地区を、つくられた当時のネオ・クラシカル調で再建したのである。彼が設計したリスボンの新しい地下鉄駅もこの計画と密接に結びついている。
  シザの新しい作品にマルコ・デ・カナヴェーゼスの『サンタ・マリア教会』(1990-96)がある。ポルトから東に約60キロの地の丘陵地の中腹にある。白いコンクリートの、何の装飾もないシンプルな建築が真っ青な空を背景にして建つさまは、巨大なミニマル・アートのようでもある。全体に窓が少ないものの、聖書が読めるように1.3メートルの位置に水平の細長い窓がうがたれている。上部の窓からの光が差し込み、光と影が戯れる。
  シザはまた、そのスケッチやデッサン、それに明敏、辛辣なインタビューやエッセイでも知られている。「人々に彼らが求めるものを与える建築家はデマゴーグである」、「建築家は何も創造しない。現実を作り変えるだけだ」などのシニカルな警句は有名である。
  ゆっくりと物静かに語る彼の容貌は、聖職者か哲学者のような雰囲気が漂う。

渋沢和彦

略歴

  1933  6月25日、ポルトガル、ポルト近郊のマトジィニョスに生まれる
  1949-55 ポルト造形美術高等学校(ESBAP)に学ぶ
  1954 最初のプロジェクト実施
  1955-58 建築家フェルナンド・タヴォラのもとで働く
  1966-69 ESBAPで教鞭をとる
  1976 ESBAPで建築構法の教授となる
  1988 アルヴァ・アアルト財団ゴールドメダル受賞
スペイン建築家協会ゴールドメダル
プリンス・オブ・ウェールズ都市計画賞(ハーバード大学都市計画科から、キンタ・ダ・マラゲイラの住宅開発地区に対して)
ヨーロッパ建築賞(バルセロナのEEC/ミース・ファン・デル・ローエ財団から、ボルゲス&イルマーン銀行に対して)
  1992 プリツカー賞受賞
  1993  ポルトガル建築家協会賞
  1996 リスボン万博98のポルトガル館を手がける
  1998 高松宮殿下記念世界文化賞・建築部門受賞
  主な作品 1961-66  レサのスイミング・プール
                 (ポルトガル、レサ・ダ・パルメイラ)
1971-74  ピント&ソット・マヨール銀行
                 (ポルトガル、オリヴェイラ・ドゥ・アザメイス)
1973-77  ボウサの集合住宅 (ポルトガル、ポルト)
1973-76  ベイレス邸 (ポルトガル、ポヴォア・デ・ヴァルジム)
1974-77  サン・ヴィクトル地区の再開発 (ポルトガル、ポルト)
1977     キンタ・ダ・マラゲイラの住宅開発地区
                 (ポルトガル、エヴォラ)
1974-77  サン・ヴィクトル地区再開発 (ポルト)
1978-86  ボルジェス&イルモン銀行 (ポルトガル、ヴィラ・ド・コンデ)
1980     シュレジッシェス・トーアの集合住宅
                 (ベルリン、クロイツベルク地区集合住宅)
1985-     シュデルシュヴェック再開発計画 (オランダ、ハーグ)
1986-93  セチュバル教育大学 (ポルトガル)
1987-93  ポルト大学建築学部棟
1988-93  ガリシア現代美術センター
                 (スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステラ)
1988-95  アヴェイロ大学図書館 (ポルトガル)
1988-89  アヴェイロ大学給水塔
1990-     マルコ・ドゥ・カナヴェーゼスの教会と教区センター
                 (ポルトガル)