プラシド ・ ドミンゴ

Plácido Domingo

プロフィール

  世界的テノール歌手であると同時に指揮者、歌劇場の芸術監督としても活躍している。サルスエラ(スペインの叙情的オペラ音楽)歌手の両親と共に、8歳の時にスペインからメキシコに移住し、両親の劇団で子役として舞台に立つ。メキシコシティの国立音楽院でピアノと指揮を学び、その際、声楽の才能を見出される。メキシコ国立劇場で本格デビュー、イスラエルで活躍した後、アメリカを本拠地とした。その後、数年でウィーン国立歌劇場、メトロポリタンオペラ、ミラノ・スカラ座、ロイヤルオペラなどで名声を確立。150もの役柄を手掛ける。ホセ・カレーラス、ルチアーノ・パバロッティとの三大テノールで世界中のファンを魅了した。今年7月に一時、体調を崩して入院したものの、「休めば、錆びる」をモットーに、72歳の今も、世界中を飛び回りながら、若々しい歌声を維持し、バリトン役もこなす。20年前に創設した国際コンペ「オペラリア」を通じて後進の指導にも情熱を傾けている。

詳しく

  歌唱の巧みさ、演技力、感情表現力はテノール歌手のなかでも突出しており、「キング・オブ・オペラ」と称賛される。世界中で公演活動を続ける一方、指揮者としても活躍し、ロサンゼルス・オペラの総監督も務める。

サルスエラ歌手の両親と共に8歳の時にスペインからメキシコに移住。幼少期から両親の劇団の舞台に立った。メキシコシティの国立音楽院でピアノを学ぶが、声楽の才能を見出され、声楽家としての道を歩み始める。

イスラエルで活躍した後、ニューヨークシティオペラと契約、アメリカを本拠地にし、その後はウィーン国立歌劇場、メトロポリタン・オペラ、ミラノ・スカラ座など世界各地の舞台で名声を確立した。「サルスエラや両親のおかげで今日の私がある」と、今も感謝を忘れない。

1990年からは、ホセ・カレーラス、ルチアーノ・パバロッティとの三大テノールを結成、世界各地でコンサートを行い、オペラを一般の人にも身近な存在として認識させるとともに、ファン層の拡大にも大きく貢献した。

歌手としてのレパートリーは150を数え、他の追随を許さない。しかし、「私はまだ学生のような気分でいる。いつも楽譜を抱え、常に猛勉強しなければならないと思っている」と研鑽を怠らない。

今年7月に体調を崩して一時、入院したものの、「休めば、錆びる」がモットー。「ほとばしる情熱があるからこそ、何事もいとわないし、飛行機で移動することも苦にならない。熟睡でき、身体を休めることさえできれば歌える」と、72歳の今も、若々しい歌声を維持し、最近はバリトン役もこなす。

若手歌手の支援にも情熱を傾け、1993年に国際オペラコンクール「オペラリア」を創設。ここからアーウィン・シュロット、ロランド・ヴィラゾンら多くの名歌手を輩出している。

2011年4月、東日本大震災直後に来日公演を行った。唱歌『故郷』を日本語で歌い、大きな感銘を与えた。28年前のメキシコ大地震で、身内を亡くした悲しい体験があり、日本の被災者の心を少しでも癒したいとの思いで歌ったという。

今年は、仙台藩主の伊達政宗が家臣の支倉常長をスペインに派遣してから400年に当たる。「日本スペイン交流400周年」記念イベントが行われており、今回の来日は、スペイン側の「文化交流公式大使」としての役目もある。東京でのコンサートも10月12日と15日に行われる。

略歴

  1941 スペイン・マドリード生まれ
  1949 メキシコに移住
  1957 メキシコシティにて両親が主宰するサルスエラ劇団でバリトン歌手としてデビュー
  1961 メキシコ・モンテレイ歌劇場で『椿姫』のアルフレートでテノール歌手デビュー
  1962-65 テル・アヴィヴのイスラエル・ナショナル・オペラに所属
  1966 ニューヨーク・シティ・オペラ『ドン・ロドリゴ』で正式デビュー
  1967 『ドン・カルロ』でウィーン国立歌劇場へデビュー
  1968

『アドリアーナ・ルクヴルール』のマウリツィオでMETデビュー。

シカゴ・リリック・オペラ デビュー。

  1969 『エルナーニ』でミラノ・スカラ座デビュー
  1976 イタリア・オペラ公演で初来日、道化師のカニオ役で日本デビュー
  1981

ミラノ・スカラ座『オテロ』で来日公演。

ジョン・デンバーとのデュエット『Perhaps Love』でクロスオーバーの世界にも進出

  1984 メトロポリタン歌劇場に指揮者としてデビュー
  1987 初のソロ・コンサートで来日
  1990

ホセ・カレーラス、ルチアーノ・パバロッティと三大テノール公演を開始

(1996、1999年東京公演)

  1992

バイロイト音楽祭で『パルシファル』を歌ってデビュー

バルセロナ・オリンピック閉会式で『オリンピック賛歌』を歌う

  1993 国際的オペラ・コンクール『オペラリア』を創設
  2003 ロサンゼルス・オペラ総監督(現在)
  2011 東日本大震災直後の4月に来日、『コンサート・イン・ジャパン』を開催