ジャック・ヘルツォーク と ピエール・ド・ムーロン

Jacques Herzog and Pierre de Meuron

プロフィール

  スイス人建築家のチーム「ヘルツォーク&ド・ムーロン」は、建築物の素材と表層表現にこだわりながら、故郷バーゼルを拠点に世界各国で巨大プロジェクトを成功させている。幼なじみの2人は共にチューリヒ連邦工科大学で学び、1978年に建築事務所を共同開設。地元のリコラ社倉庫や信号施設「セントラル・シグナル・ボックス」などで高い評価を獲得。やがて2人の才能は国外へ飛び出し、ロンドンの発電所を改造した美術館「テート・モダン」、東京のプラダ・ブティック青山店など斬新な建築物を次々に完成させてきた。2001年にプリツカー賞を受賞。2人ともサッカー好きで、バーゼルのサッカー場やドイツ・ワールドカップ競技場「アリアンツ・アレーナ」も手掛け、2008年に開幕する北京五輪のメイン・スタジアムの「鳥の巣」のような鉄骨構造も注目の的だ。

詳しく

  表層表現にこだわった想像力豊かな建築物で、母国スイスをはじめ世界各国で高い評価を得てきた。舞台デザインや個人の住居から、サッカースタジアムなどの巨大プロジェクトまで、その哲学は一貫して変わらない。
  ヘルツォークとド・ムーロンは、ライン河が流れるバーゼル生まれの幼なじみ。チューリヒ連邦工科大学で共に建築を学び、1978年にバーゼルに建築事務所「ヘルツォーク&ド・ムーロン」を共同開設して以来、「文化的背景に恵まれ、街の発展に建築が常に重要な役割を果たしてきた」(ド・ムーロン)という、この建築都市を拠点に活動している。

  2人の名を一躍高めたのは、故郷での数々のプロジェクトだ。バーゼル近郊のリコラ社倉庫(1987)は、石膏ボードを重ねた斬新な外観で高い評価を獲得。バーゼル駅近くの信号施設「セントラル・シグナル・ボックス」(1999)では、コンクリートのビル本体を銅板で覆い、無機質で単調なビルの表面が光の加減で豊かな陰影を映し出す様を演出し、評判になった。
  同時に、海外でも次々に話題のプロジェクトに参画。地元の石を金網のコンテナに詰め込み、それを長さ100メートル、高さ9メートルの壁にした米国カリフォルニア州ナパ・ヴァレーのドミナス・ワイナリー(1998)、ロンドンの火力発電所を改造した美術館「テート・モダン」(2000)、ガラス張りが印象的な東京のプラダ・ブティック青山店(2003)やロンドンのラバン・ダンス・センター(2003)、無数の丸い穴をあけた銅板で覆われたサンフランシスコのデ・ヤング美術館(2005)など、多彩な材料を用いて個性的な建築物を完成させている。

  「世界が我々に多種多様な素材を使うように求め、成功しただけ。ただ、それらは使いようで魔法のように素晴らしくなる」(ヘルツォーク)

  2001年にはプリツカー賞を受賞。2人ともサッカー好きで、バーゼルのサッカー場や、半透明の外壁が白、赤、青に変わるミュンヘンのワールドカップ競技場「アリアンツ・アレーナ」(2005)も手掛け、2008年に開幕する北京五輪のメイン・スタジアムの「鳥の巣」のような鉄骨構造も注目の的だ。「成功の要因はお互いの友情」(ド・ムーロン)という2人のコラボレーションは、今後も大きな反響を呼ぶのは間違いない。

 

略歴


1950  共にスイス・バーゼルに生まれる

1970-75 共にスイス連邦工科大学(ETH)チューリヒ校で学ぶ

1978 バーゼルで建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロンを共同開設

1980 スイス・オーベルヴィル「ブルー・ハウス」

1987 スイス・バーゼル州「リコラ社倉庫」

1988 バーゼルの建築博物館で個展

1989、1994- 共に米国ハーバード大学で客員教授

1995 パリ・ポンピドー・センターで個展

1998 カリフォルニア「ドミナス・ワイナリー」

1999- 共にバーゼル・スイス連邦工科大学の教授に就任

1999 バーゼル「セントラル・シグナル・ボックス」

2000 ロンドン「テート・モダン」

2001  プリツカー賞受賞

2003 RIBAスターリング賞受賞(ラバン・ダンスセンター)
東京「プラダ・ブティック青山店」

2004-05 個展(スイス、オランダ、英国、ドイツ)

2005 日本建築協会デザイン賞受賞(プラダ・ブティック青山店)
サンフランシスコ「デ・ヤング美術館」
ミュンヘン「アリアンツ・アレーナ」

2007 RIBAゴールド・メダル受賞

2008 北京オリンピック・メインスタジアム「北京国家体育場」完成予定