パウロ・メンデス・ダ・ホッシャ

Paulo Mendes da Rocha

プロフィール

  2004年に世界文化賞を受賞した、ブラジルを代表する建築家、オスカー・ニーマイヤーに次いでブラジル二人目の受賞。サンパウロのマッケンジー・プレスビテリアン大学を卒業後、早くから頭角を現し、29歳で手掛けた『パウリスターノ・アスレチック・クラブ』をはじめ、『サンパウロ州立美術館』改修、『ブラジル彫刻美術館』、パトリアルカ広場再開発の『ポルティコ』など、コンクリートやスチールの素材の魅力をそのまま生かし、空間を最大限に利用した斬新な構造が特徴。「内部と外部の理想的な親和状態」を追求し、土地柄や歴史、景観などを総合的に勘案して設計する。ポルトガル・リスボンの『国立馬車博物館』(2015) はブラジル以外で初の大規模建築。1970年の大阪万博で『ブラジル館』を設計した。2006年のプリツカー賞受賞もニーマイヤーに次いでブラジル二人目。今年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞した。

詳しく

  90歳にも近いという年齢には見えない若々しさを保ち、その創造性と真摯な取り組みは衰えを見せない。サンパウロ大学で教壇に立ち、ブラジル建築家協会の会長も務めたが、今も大御所として第一線で活躍している。
 港湾や川、運河などの建設の仕事をしていた父の影響で、幼少時から建築家の道を目指す。サンパウロのマッケンジー・プレスビテリアン大学を卒業後、早くから頭角を現し、29歳でコンペに勝利、『パウリスターノ・アスレチック・クラブ』を手掛けた。以降も『サンパウロ州立美術館』改修、『ブラジル彫刻美術館』、パトリアルカ広場再開発の『ポルティコ』など、サンパウロを代表する数々の建築に携わる。多くはコンクリートとスチールのシンプルな素材の魅力をそのまま生かし、空間を最大限に利用した構造が特徴。
 設計に当たっては「内部と外部の理想的な親和状態」を追求してきた。土地柄や歴史、景観などを総合的に勘案するが、「建築家は自分のために設計するのではなく、社会のために設計する。だから社会に対する責任がある。社会の欲求はきわめて複雑であり、必然的にその複雑さ全体に向け、同時に取り組まなければならない」と語る。
 また、「建築の魅力はあらかじめ定められたルールがないところ。建築は人間の想像力に従うものだから、建築家であるには、極めて自由でなくてはならない」と強調する。
 建築物の多くは、自身が今も住むサンパウロに集中しているが、近年はポルトガルの首都リスボンにある『国立馬車博物館』(2015)の設計を手掛け、ブラジル以外で初めての大規模建築として話題を呼んだ。
 日本では、1970年の大阪万博で『ブラジル館』の設計を担当。大阪に一カ月滞在し、「私の人生の中で最大の冒険の一つだった。道頓堀によく行って飲んだ」と懐かしむ。
 2004年に世界文化賞を受賞したブラジルの先輩建築家、オスカー・ニーマイヤー(2012年に104歳で死去)については、「一緒に働いたことは一度もないし、仕事上の協力もなかったが、彼は本当の親友。よく電話をもらったし、リオデジャネイロに行くと必ず彼の事務所に寄った」と振り返る。それだけに、ニーマイヤーに次いでブラジル二人目の受賞をひときわ喜び、「この賞は、個人としての私に対するものではなく、日本国民とブラジル国民との友情の記念のようなもの」と話している。

略歴

  1928 ブラジル・エスピリトサント州ヴィトーリアに生まれる
  1954 サンパウロのマッケンジー・プレスビテリアン大学建築都市計画学部卒業
  1957 『パウリスターノ・アスレチック・クラブ』(サンパウロ)
  1958 第6回サンパウロ国際ビエンナーレのリパブリック・グランプリ
  1959 サンパウロ大学の建築都市計画学部で教鞭をとる(1998年まで、2010年名誉教授)
  1960 ブファンタ近郊の『自邸』(サンパウロ)
  1961 前衛的建築グループ、パウリスタ派に参加
  1970 大阪万博『ブラジル館』(大阪)
  1975 『サンパウロ大学付属現代美術館』(サンパウロ)
  1987 『フォルマ家具ショールーム』(サンパウロ)
  1988 『ブラジル彫刻美術館』(サンパウロ)
  1993 『サンパウロ州立美術館』改修(サンパウロ)
  2000 ミース・ファン・デル・ローエ賞(ラテン・アメリカ建築)
  2002 パトリアルカ広場再開発の『ポルティコ』(サンパウロ)
  2006 プリツカー賞
  2015 『国立馬車博物館』(ポルトガル・リスボン)
  2016 ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞