リチャード・ロジャース

Richard Rogers

プロフィール

  ハイテク建築の第一人者といわれ、イギリスを代表する建築家。その作品は、常に最先端の技術を駆使し、大胆な挑戦に満ちている。
  1993年、イタリア・フィレンツェ生まれ。ロンドンの建築大学を卒業後、イェール大学大学院に学び、70年、イタリア人建築家レンゾ・ピアノと組んで、パリのポンピドゥー・センターの設計で国際コンペを勝ち取り、一躍世界的に有名になる。86年に竣工した「ロイズ・オブ・ロンドン」は、歴史的な石造りの建物が並ぶ金融街に出現したガラス張り、巨大な機械を思わせるハイテク建築は、ロンドンっ子を驚かせた。
  その後も、都市に新しい秩序と調和をもたらすという信念のもとに、ロンドンの「チャンネル4」(1994)、ストラスブールの「ヨーロッパ人権裁判所」(1994)、「ボルドーの市裁判所」(1999)、ロンドン郊外、テームズの「ミレニアム・ドーム」(1999)など、野心的な作品を次々と発表。また、環境問題についても、建築家の責任を強調し、熱心に取り組んでいる。
  日本にある作品は、東京の「歌舞伎町プロジェクト」(1991)、岐阜県各務原市の「VRテクノ・センター」(1998)など。

詳しく

  リチャード・ロジャースは、同じイギリスのノーマン・フォスターとともに、今日のヨーロッパに建築家の中でももっとも技術を解し、その膨大な蓄積の上に建築デザインを展開してきた。産業革命の伝統を引き継ぐイギリスを基盤として、産業と技術をどう融合させ、また建築の中でそのロジスティックスを完結させる術を心得ているといえそうである。

ロジャースは、1933年にイタリア、フィレンツェで英国人の両親のもとで生まれている。教育はイギリスで積み、ロンドンのアーキテクチュラル・アソシエーション(AAスクール)を修了した後、アメリカのエール大学で学んだ。1960年代のイギリスは、前衛的なグループ・アーキグラムのような集団が一世を風靡し、未来主義的なマシニズムが若い世代に強い影響を与えていた。当初のロジャースは、アーキグラムやセドリック・プライスのヴィジョナリーな提案を受け継ぎ、ハイテクを具体化することによって都市の新たなダイナミズムを発生させることに全力を注いでいる。
  30歳にして彼は、同じ主張をもつノーマン・フォスターらと組んで「チーム4」を発足させ、いくつかの小品を発表している。その後、1967年から妻のスー・ロジャースと共同事務所を作り、さらにイタリア人建築家レンゾ・ピアノとともにパリのポンピドゥー・センターの設計競技に優勝してから、「ピアノ+ロジャース」として共同事務所を開設する。
1971年から工事が始まったパリの現代文化センター、ポンピドゥー・センター(1977完成)の設計者として、まだ30歳代のロジャースとピアノが決定したのは、当時大きな話題になり、その斬新なデザインが多くの論争を呼んだ。巨大な鋼管のフレームによって構造体を組み上げ、設備系を露出させたデザインは、それまでのモダニズムの常識を破るものであり、さらにそのカラフルな色彩や、大胆な表現がパリという歴史都市から逸脱しているという議論が連日紙面を賑わせた。ロジャースが国際的に注目されたのはまさにこの時であり、その後、彼の主張は常に先端のデザインを切り開くものとして論議を呼んできた。
  1977年にピアノとのパートナーシップを解消したロジャースは、みずからの単独事務所を開くことになるが、その翌年、ロンドンの金融街に建つロイズ本社ビル(1986完成)の設計競技で優勝する。この建築は、ダクトやエレベーターなどサービス系を分離するとともに、巨大な吹き抜け空間を強調し、これまた従来のビルの常識を覆すデザインとなっている。彼の方法は、ある意味で中世ゴシックの構造をモデルにしており、構造体と皮膜とを分離し、構造の表現を美学にまで高め、さらに垂直の大空間を中心に置くことによって、建築そのものの驚きを増すように意図されている。
  こうした活動から、ロジャースは世界各国の大学から招聘され、講演やワークショップを行ない、また展覧会を巡回させる。1980年代のポストモダニズムの中で、彼はむしろ生産とロジスティックを下敷きにしたデザインの方法論を展開し、表層の装飾性にはむしろ消極的だった。19世紀のクリスタルパレスや鉄道駅のデザインを深く学び、その再解釈を通してテクノロジカルな建築に到る姿勢は、1990年代に入ってさらに強まった。実際、設計の仕事はヨーロッパ各地に広がり、グラスゴーのリン・プロダクツ工場(1987)、ロンドンのテレビ局チャンネル4(1994)、フランス・ストラスブールのヨーロッパ人権裁判所(1994)など、新しい工業素材と工法にもとづいたデザインを発表している。
  近年の作品として注目されているのは、フランス・ボルドーの裁判所(1999)、世紀の変わり目を記念するロンドンのミレニアム・ドーム(1999)である。前者は、大屋根によってさまざまな機能ユニットを覆い、後者は巨大なテント構造によって巨大空間をつくりだす。都市と環境を覆い、一つの運命共同体としての建築をつくりだすという考え方は、バックミンスター・フラーのヴィジョンにも通じるものであり、未来に向けて建築の可能性を大いに高めるものにほかならない。

三宅理一

略歴

  1933  7月23日、イタリア、フィレンツェに生まれる、4歳の時イギリスへ移住
  1954-59 ロンドンAA(建築協会)スクールに学び、ディプロマ取得
  1961 イェール大学大学院修士課程建築家修了、シュマイエフに学ぶ
ニューヨークのスキドモア・オーイング&メリル事務所で働く
  1962 イギリスに戻り、スー・ロジャース、ノーマン&ウェンディ・フォスターと
「チーム4」 設立
  1967 「チーム4」 を解消、「リチャード&スー・ロジャース」 設立
  1971 「ピアノ&ロジャース」 設立
ポンピドー・センター(パリ)の設計競技に入選 
  1977 「リチャード・ロジャース・パートナーシップ」 を設立
  1978 ロイズ・オブ・ロンドンの設計競技に入選
  1985 RIBA (王立英国建築家協会) ゴールド・メダル受賞
  1986 ロイヤル・アカデミー展覧会 「ありうべきロンドン」 に出展
  1989 ヨーロッパ人権裁判所の設計競技に入選
アーノルド・W・ブルンナー記念賞受賞
  1991 チャンネル4設計競技入選
英国女王よりナイトの称号を受ける
  1992 リチャード・ロジャース・パートナーシップ・ジャパン設立
  1995 BBCラジオ4の番組で講演 「小宇宙のための都市」 を行う
  1997 英国女王よりロードの称号を受ける
  2000 高松宮殿下記念世界文化賞・建築部門受賞
  主な作品 1971-77 ポンピドー・センター、IRCAM:音響・音楽総合研究所 (パリ)
1978-86 ロイズ・オブ・ロンドン (ロンドン、シティ)
1975-83 PAテクノロジィ・ケンブリッジ研究所 (ハートフォードシャー)
1982    インモス・マイクロプロセッサー工場 (サウスウェールズ)
1984-86 PAテクノロジィ・プリンストン社屋・研究所
               (ニュージャージー)
1990-94 チャンネル4社屋 ビル (ロンドン、ウエストミンスター)
1992    マルセイユ国際空港 (フランス、マルセイユ)
1992-96 ボルドー市裁判所複合施設 (フランス、ボルドー)
1989-95 ヨーロッパ人権裁判所 (フランス、ストラスブルク)
1992    ヒースロー国際空港第1ターミナル増改築
               2006年には第5ターミナルが完成予定
1996-98 テクノプラザ― 岐阜県科学技術振興センター・
               VRテクノセンター (岐阜県、各務原市)
1996-99 ミレニアム・ドーム

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リチャード・ロジャース 建築を語る

 

--高松宮殿下記念世界文化賞 受賞記念講演会--2000年10月27日(金)15:30~ 於:鹿島KIビル

 

私は日本に来て、世界文化賞というこの大きな賞の受賞者に名を連ねたことを大変光栄に思います。私の仕事はここ数年ますます都市とアーバン・デザイン、それに継続的環境資源開発にかかわってきているのですが、ここではまず、建物についてお話したいと思います。そして講演の最後の方に少し都市計画とデザインについてお話しようと思います。


■近代建築の主テーマになった「フレキシビリティ」

まず最初にご注目いただきたいのは、京都の桂離宮=写真2=です。もしどこか近代建築発祥の地というものがあるとすれば、それは何百年か前に、ここからスタートしたのではないかと思います。この桂離宮にあるものほとんどすべてが、近代建築の運動に直接結びついています。

金や銀を使った典型的なルネッサンス時代の建築に対して、この桂離宮は構造がとてもシンプルで、木材や紙、石、藁などを使っています。これらの素材は、贅沢さよりも、素材そのものの質感や文脈、スケールなどによって生きています。

ルネッサンス時代の建築は、静的な空間でした。この時代の建物は完成した時に既に完璧であり、何も付け足したり取り去る必要はなかったのです。しかし、桂離宮は違います。フレキシブルな木材のフレームで建てられ、内部を工夫し直すことができます。実際これは一つの時代に建てられた建築というより、何百年にもわたって絶えず変更を加えられてきた動的な建築物なのです。

私がこの建物で好きなのは、一般大衆的ローコスト建築の可能性を示すとともに、人々皆のシェルターという概念と、偉大な芸術の理想を兼ね備えている点です。この離宮が建てられてからすでに約350年もたち、それでいて建築の概念はほんの少ししか進歩していないと考えれば、これはすごいことです。しかし我々のテクノロジーは進歩して、こうした建築の要素を把握するに至り、フレキシビリティはいまや近代建築の主たるテーマとなりました。

また、ウィンブルドンにある私の両親の家ですが、ここで私は、この家を庭と関連づけ、また拡張可能なフレームワークという概念を取り入れようと試みました。全てのスチールの間仕切りはフレキシブルで流動的です。ですから理論的には、庭に向かってどんどん建て増していくことができ、建物を二つ三つと追加することが可能です。

家の中は可動パーティションで仕切られ、キッチンはとてもシンプルに造られています。私はシンプルな生活という考えに基づきこの家をデザインしました。私はまた、光のあそびと、庭とのつながりに関心をもっています。

これとは対照的に、日本の都会の建築=写真4=は極端に賑やかで、ここまでにお見せした二つの建物と正反対といえます。静寂や庭との関連などはありません。しかし、その代わりにダイナミスムと活気に満ちています。日本の「垂直性」というものは非常に特徴的です。欧米の都市では建物はもっと「水平性」が特徴となっており、都市の文脈やスケールという要素がずっと希薄です。しかし日本の建物は縦に細長く垂直であり、まるで縦書きの日本語の文章のように、通りを見通していくと次々に目で追いかけることができます。これが生命力に溢れた都市を生み出しています。都市とは人々が出会う場があり、経済と文化的活動の両方が中心に集められています。この中で我々の闘いは、ここに住む人たちの大部分のために、よりよい生活を創り出すことであり、しかもバイタリティを維持することが重要なのです。

 

リチャード・ロジャース ©Sankei Shimbun 2,桂離宮 ©Yutaka Shobo 4,銀座
リチャード・ロジャース
©Sankei Shimbun
2,桂離宮
©Yutaka Shobo
4,銀座

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■パリの活力を捉えたポンピドゥー・センター

私達はあのボーブール、一般にはポンピドゥー・センター=写真5=として知られる建物をデザインする時、このようなバイタリティーを捉えようと努力しました。大変エキサイティングなエレクトロニクス時代の象徴的な建物として、世界中のアート、文化、情報センターとのリンクをダイナミックなファサード(前面)で表現しようとしました。これはあらゆる年代、あらゆる考え方の、すべての人々の情報センターなのです。

ポンピドゥー・センターは個々の区分から成り立っているのではなく、全体としてひとつの文化スペースとなっています。文化のための、一連のロフト・スペースあるいは倉庫といってもいいでしょう。外側に造られた大きな広場は、私にとって最もエキサイティングな空間です。パブリック・スペースは、一連の外部の通路や回廊に連なり、時にはガラスに覆われ、時にはオープンとなっています。更に各フロアーは、巨大なエスカレーターで結ばれ、空へ向かって伸び、パリを一望する景観が得られるようになっています。

パブリック・スペースを創り出すことは、私達にとってひとつの挑戦でした。建物の使用者はまず、建物の内部や機能に関心をもちます。しかしながら建築家は、アーバン・デザインを考えるとき、見物客や通行人も非常に重要だということを考慮しなければなりません。

ポンピドゥー・センターはパリの隙間のない基盤の中に建っています。一時そこは非常に荒廃した地域でしたが、徹底的に変えることができたと感じています。この建物は、建築が周辺環境までも変えることができるという、重要な役割を示しています。建物の一方の面が大きな広場に面し、もう一方の面にすべての機械的な機能が集中するようデザインしました。こうして、垂直な要素がまったくない、サッカー場2つに等しいスペースを、美術館や図書館またはパフォーマンスを行なう空間といった何でも利用できるようなスペースとして残したのです。全体のコンセプトは、この建物の寿命が続くかぎり変更していけるということです。実際に昨年大きな変化を遂げ、この先25年間の利用に適応するよう手直ししました。

ポンピドゥー・センターは大きな成功を収めました。年間700万人が訪れ、ヨーロッパで最も入場者が多い建物です。レンゾ・ピアノと私、そしてエンジニアのピーター・ライスがデザインしました。建築はチームワークが全てです。建物で重要なのは、その高さや広さよりも、その都市の文脈とスケールです。そしてヒューマニズムを表すためのディテールです。もしポンピドゥー・センターをシンプルでどっしりした構造に造っていたら、2倍の大きさに見えたかもしれません。そこで、私達はチューブで細かいセクションごとに区分したのです。その小さな部分にあたる光や影のあそびが、建物にヒューマニズムのクオリティを与えているのです。

ポンピドゥー・センターは、1968年の学生と知識人とによる反体制運動を反映しています。そのコンセプトは「お祭り」であり、非常に流動的デザインで、成長を続けることを目指していました。文化とはエリートのためのものではなく、全ての人々が楽しむことができるという考えかたです。

 

5, ポンピドゥー・センター ©Richard Rogers Partnership
5, ポンピドゥー・センター
©Richard Rogers Partnership

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■時代の変化に対応できる「ロイズ・オブ・ロンドン」

「ロイズ・オブ・ロンドン」=写真6=は、これとはまったく違った建築物です。世界最大の保険会社の本社であることから、ロイズは第一に、21世紀まで保つ建物を求め、第二に、電子時代の変化するニーズに対応できる、フレキシブルで流動的な建物を希望しました。彼らは、起きつつある大きな変革や、それが仕事のパターンにもたらす変化をとても意識しています。そしてロイズは将来まったくちがった建物になるかもしれないということを、非常によく理解していました。

建築物というものは当初デザインされた目的のままで利用されつづけるケースは非常に稀です。変化は決定的に重要な要素のひとつです。私がよく指摘することですが、教会は教会のように、家は家のように見えるという、私達が慣れ親しんだイメージは歴史と共に変容していきます。例えばローマの大変有名なナイトクラブは、実は教会の中にあります。つまり、これは「教会はどのように見えるのか。そしてナイトクラブはどのように見えるのか?」という問題を提起しています。これは建物の枠組みの概念、そして都市の枠組みの概念の捉え方の変化でもあります。言い換えれば、これらが都市の建物であることから、都市の文脈やスケールから考えることが大切なのです。

ロイズの場合、都市の文脈やスケールは巨大な垂直のタワー=写真7、8=によって与えられています。中央はロフト・スペースになっており、10階建ての部分は仕事をする場です。エレベーターや電気設備、トイレなどの設備系は全て外側の6つの垂直タワーに設けました。内部のフリー空間は将来どのような変化にも対応できます。

ここで最も重要な大通りはレドンホール・ストリートで、我々はこれに面して一番高いタワーを設けました。このタワーは垂直の要素の対置をつくり出し、スカイラインに彩りを添えています。それは、建築物の第5の立面図は空に描かれた建物の輪郭であることを示しています。建築的表現にも文法、言語があります。そこで我々は、それがヒューマン・スケールや、光と影などといったもので成り立っていると考えています。つまり、空間の構成をはっきり表現しなければなりません。そうすれば建物は、本を読むように、理解することができるのです。通りを歩いていくと、人の視線はタワーからタワーへ、部分から部分へと導かれていきます。この垂直性は、建物がどのように見えるのか、そしてどのように展開していくのかというよい教訓になります。私達はロイズを設計する時、6マイル離れた高台にある公園、プリムローズ・ヒルへ行き、遠方からはロイズはどう見えるべきかのイメージを得ました。大きな垂直の要素を伴うビルディングを設計するとき、遠方から眺めるのはたいへん重要な要素であり、機能性と美感とがバランスよくデザインされなければなりません。

ロイズはエネルギーの点で非常に経済的なビルディングです。空気は三重になったガラス・パネルの間を循環し、外側と内部の気温差を調整しています。こうしてこのビルを使う人々が快適に過ごせるようにしてあるのです。

ポンピドゥー・センターは非常にローコストな建築でしたが、ロイズは本社にふさわしい予算を与えられたので、細部に至るまでそのコストを反映したビルディングです。使用した素材はすべて最高の品質のものが選ばれ、必然的に寿命の長い建物になっています。

 

6, ロイズ・オブ・ロンドン(外観) ©Sankei Shimbun 7, ロイズ・オブ・ロンドン(アトリウム) ©Janet Gill 8, ロイズ・オブ・ロンドン(平面図)
6, ロイズ・オブ・ロンドン(外観)
©Sankei Shimbun
7, ロイズ・オブ・ロンドン(アトリウム)
©Janet Gill
8, ロイズ・オブ・ロンドン(平面図)

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■人の交流を促すガラスのランドマーク「チャンネル4」

我々はロンドンの都心にもう一つの本社ビルを建てました。テレビ局・チャンネル4の本社=写真9=ですが、これは規模もずっと小さく、予算も控えめなものでした。しかしそれでもこの建物は、民衆と、都市と、そして国との重要なコミュニケーターであるというシグナルを人々に伝えるランドマークなのです。このタワーの部分はビルをしっかりと安定させ、その垂直性はそれぞれの側面の水平方向の体系と対比しています。このビルは1日24時間利用されるため、目立つ街角の部分にその場所を彩るにふさわしい広場をつくりました。先に述べたように、都市部での生活のクオリティは、パブリック・スペースの理解が重要な基本になっているためだからです。

ここでも、階段の上のガラス張りのアトリウムと小さな庭の間の光の遊びと透過性が、この建物の特徴となっています=写真10=。もし何か一つの共通したテーマがあるとしたら、それは精神的な明るさをつくり出すということです。私達は、今日我々が利用できる素材を使って、もう一度人々を建物の中へ誘うことができます。人を閉め出そうとして建てられたお城と違って、私達の設計の目的は、人々を惹きつけ、ガラスを通して彼らを招き入れることです。我々は建物に入っていく人々や内部の活動の活気といったものを見ることができます。チャンネル4は、見た目にも、そして会話を通じても、交流を促進することを意図した、ダイナミックなビルなのです。


■透明で開放的な親しみやすい裁判所

ストラスブールのヨーロッパ人権裁判所=写真11=はイル川(ライン河の支流)に面した見晴らしのよい場所にあります。我々のデザインの意図は、この司法機関の重要性を反映させると同時に、一種の透明性を強調することでした。広場はパブリック・スペースという概念を強調しています。裁判が開かれているあいだ、人々はよくここに入ってきて腰を下ろします。この空間は、司法の場に参加するよう人々を招く役割を果たしているのです。

我々は他にも裁判所の建物を設計しています。とくにボルドー市の裁判所です=写真12,13,14=。ここでは7つの法廷がそれぞれ木製のシリンダーに収められており、それぞれが20人から70人を収容します。これは非常に透明性の高い解放された建物で、人々が入ってきて通り抜けることを促しています。この建物は人々を威嚇するものではなく、むしろフランスの司法制度の近づき易さを強調し、私達が生きている社会を理解してもらおうというものなのです。

ボルドー市裁判所は、これまで見てきたいくつかの建物よりももっと効率よくエネルギーを利用できる建物です。我々は省エネ50%という目標をたて、生み出す汚染を50%少なくしようとしました。下には冷水または温水の貯水槽があり、その温度差を利用して、自然の空調設備として働いています。ちょうど良い温度の空気がパイプを通り、これが煙突のような役割を果たし、人々がいるところに自然に空気が上がっていきます。そのシステムによって夏も冬もエネルギーが節約されるのです。

この建物のよいところは、単純な箱形ではないことです。それぞれのヴォリーム部分に分かれ、拘置所、法廷、公共のスペースなどがひとめで識別でき、その上に民主主義という大きな屋根がのっています。そして人々がやってきて出会い、コミュニケーションしあいます。こうしてこの建物は、裁判所のネガティブな要素だけでなく、社会へ向けてポジティブな要素をも包括するのです。

 

9, チャンネル4 ©Sankei Shimbun 10, チャンネル4 ©Sankei Shimbun 11, ヨーロッパ人権裁判所 ©Moley von Sternberg
9, チャンネル4
©Sankei Shimbun
10, チャンネル4
©Sankei Shimbun
11, ヨーロッパ人権裁判所
©Moley von Sternberg
12, ボルドー市裁判所 ©Christian Richters 13, ボルドー市裁判所 ©Christian Richters 14, ボルドー市裁判所 ©Christian Richters
12, ボルドー市裁判所
©Christian Richters
13, ボルドー市裁判所
©Christian Richters
14, ボルドー市裁判所
©Christian Richters

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■職住接近をデザインした「ベルリン・ポツダム広場」

ベルリン・ポツダム広場=写真15=の再活性化のために我々が作った元々のマスタープランは、非常に異なったさまざまな問題に答えたものでした。我々の案は採用されませんでしたが、レンゾ・ピアノのマスタープランの中で、我々は3つの建物を設計することができました。この地区は第二次大戦後、ベルリンの壁を構築するため完全に破壊されたところで、ベルリン市の計画担当者は、この地区の戦前の雰囲気を再生させることに熱心でした。ポツダム広場は、元はヨーロッパでも最も混み合う交通の要所でしたから、現在の計画も同じ問題を抱えています。我々の建物が成功したのは、店舗とオフィスと住居の混合でした。近くに美しい公園があるので、我々は建物の一角に切り込みを入れて光を取り入れ、公園からも建物の中庭を見通せるようにしました。住み、働き、そしてレジャーも楽しむというのは典型的な都市の一断面です。今日人々が抱える問題は、通勤に何時間も時間がかかることで、これは時間の点でもエネルギーの点でも非能率的です。ですから我々がここで目指したのは、歩いて行ける距離に住み、働けること、あるいは少なくとも地元の公共交通機関で通勤できることでした。ここベルリンの古い部分には軽便鉄道のすばらしいシステムがあるので、この地域は車なしで暮らしていける可能性があります。

ダイムラー・ビルディング=写真16=は中央に巨大なアトリウムがあり、そのまわりにオフィス群と会議室、それに店舗があるのが特徴です。これは伝統的なベルリンのふつうのビル、すなわち、1階に店舗、その上の3つか4つの階にオフィス、さらにその上の2つか3つの階に住居があるというスタイルを踏襲しています。一方このビルは、伝統的なビルとは大いに変わった最新のテクノロジーを取り入れています。使うエネルギーを最小限に押さえるよう設計されているのです。


■地域の個性に調和した日本のプロジェクト

東京に話を移しましょう。我々は歌舞伎町に、垂直に圧縮された小さなオフィス・ブロックを設計しました=写真17=。狭い場所に圧縮されたこの場所の性格が、この建物をすばらしいものにしました。細部が非常に精密に作られており、建設の水準は非常に高く、ヨーロッパの水準と比べてもずっと高いものです。このビルの特徴はプレハブ組み立てのユニット、オフィス・エリア、そしてその下にショールームがあることです。通りを見下ろせば、ビルの薄いくさび形の突起が突き出ています。

天野エンザイム岐阜研究所プロジェクトは2000年に完了しました=写真18=。これは黒川紀章氏の助力をえて設計したものです。今日どんな施工をしても、それは明日には変わるので、今日の建築ではフレキシビリティが考慮すべき大きなポイントです。そこで、我々はここでは、酵素研究に関わる実験施設を収めるために、非常に明快・単純なデザインをとりました。

研究所は片流れの大きな屋根を持ち、内部構造は何もなく、まったくさっぱりしています。研究所はこうあるべきなのです。管理部門と食堂、それに図書資料室は中2階にあり、倉庫のスペースは地下にあります。こうした分割は非常にフレキシブルで流動的なので、たいへんうまく働いています。こういう理由で、絶えざる変更のためにスペースを明けられるよう、構造体は外側にあります。

我々はまたその研究所の隣に岐阜県テクノプラザ=写真19=も設計しました。この建物は景観と調和するよう、丘陵の斜面に埋まるように造られています。我々はテラスを造園しましたが、斜面を掘って作ったので、コンクリートを大量に使わなければなりませんでした。

 

15, ポツダム広場マスタープラン ©Richard Rogers Partnership 16, ダイムラー・ベンツ・ビル ©Richard Rogers Partnership 17, 歌舞伎町/林原第5ビル ©Kastuhisa Kida
15, ポツダム広場マスタープラン
©Richard Rogers Partnership
16, ダイムラー・ベンツ・ビル
©Richard Rogers Partnership
17, 歌舞伎町/林原第5ビル
©Kastuhisa Kida
18, 天野エンザイム岐阜研究所 ©Kastuhisa Kida 19, 岐阜県テクノ・プラザ ©Kastuhisa Kida
18, 天野エンザイム岐阜研究所
©Kastuhisa Kida
19, 岐阜県テクノ・プラザ
©Kastuhisa Kida

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■より透明な建物を目指すロンドンのプロジェクト

我々はあまり住宅プロジェクトは手がけないのですが、2000年にはロンドンのバタシーに豪華なアパートメントの開発を完成させました=写真10=。モンデヴェトロ集合住宅といい、文字通り訳せば「ガラスの山」という意味です。18世紀の非常に美しい教会に隣り合っています。我々は大きなブロックをこの教会のすぐ横に置きたくはありませんでした。そこでその代わりに、まず建物を樹木の高さに合わせ、教会から遠ざかるにつれて高くそびえていくようにしたのです。概していえば、二つのはっきりちがった高さになっています。一方の尺度は樹木の高さ、すなわち4階ないし5階です。これは通りにいる人に向かって叫べば聞こえる高さで、またこの建物にいる人や入って来る人と密接な関係をもてる高さでもあります。

東側のファサードには、ロンドンのこのあたりでは典型的な陶土タイルを使いました。このファサードを登っていくエレベーターは垂直性と水平性を強調します。こうしたことがこの建物に彫刻的な性格と、構造が明確な感じを与えているのです。

もう一つ、我々が最近受注した仕事は、ロンドンのシティにあるロイズ海運本社屋です=写真21=。これはいつももっと透明な建物を目指そうとする我々の試みの一つのよい例です。ここでも建物はエレベーターの垂直性をもってスカイラインに切り込んでおり、オフィスは三つの背の高いくさびの形になっています。ロンドンでは典型的な、非常に狭い、制限された用地なので、建物のかたちはこのあたりのスカイラインに合わせたものにしなければなりません

もうひとつ、最近手がけたビルは、ヨーロッパ大和銀行の本部になる筈で着工したものの、竣工時には投資関係の会社が入る賃貸オフィス・スペースとなったものです。いまは「ウッド・ストリート88番地」=写真22=というビル名になっています。これは1階に回廊と、大きなエントランス・エリアとエレベーターを備えたパブリック・スペースを作ろうという我々の試みの一例であります。ファサードは「白い」ガラスを使ったシンプルで透明なものにしてあります。ローコスト型のビルで、シンプルな厚板材で作ったブロックとタワーから成っています。

 

20, モンテヴェトロ集合住宅 ©Kastuhisa Kida 21, ロイズ海運本社屋 ©Kastuhisa Kida 22, ウッド・ストリート 88番地 ©Kastuhisa Kida
20, モンテヴェトロ集合住宅
©Kastuhisa Kida
21, ロイズ海運本社屋
©Kastuhisa Kida
22, ウッド・ストリート 88番地
©Kastuhisa Kida

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■巨大な雨傘「ミレニアム・ドーム」

ロンドン・グリニッジのミレニアム・ドーム=写真23=は我々にとっては大成功の仕事でした。4年ほど前、保守党政権のもとでスタートし、労働党政権になってからも、少しかたちを変えながらも続行したものです。二つの政権が関与したというばかりでなく、実は両政権とも、ここに何を入れるかを決めていませんでした。アメリカの偉大なエンジニア、バックミンスター・フラーは、地表の一部を軽い構造体で覆うというコンセプトに熱中していたことがありましたが、彼の先例にならって、我々は悪名高いイギリスの気候を防ぐ巨大なアンブレラを建てたのです。

イギリスの新聞は、ドームの中味、すなわち展示ゾーンを猛烈に非難しました。しかし我々が留意すべきことは、現代においては建物の中味はますます問題でなくなり、その目的はつねに流動的になるということです。不変なのは、フレキシビリティの必要性だけなのです。

ミレニアム・ドームは100メートルの高さのマスト12本で支えられています。直径は330メートル、周囲は1キロメートルにおよび、世界最大の軽量構造物の一つです。テフロン被服ファイバーガラスという、寿命25年の軽い素材でできています。しかし建物全体は非常にローコストで、1平方メートルあたり約430ポンドでした。採用した工法のおかげで非常に早く完成し、実のところ予期したよりも安く、約5000万ポンドで出来ました。

テムズ河が湾曲する非常にすばらしい位置を占め、カナリー埠頭の対岸にあるこの建物ですが、その将来はどうなるか、まだわかりません。適切なメンテナスをすればこのドームは長持ちしますが、次はどういう目的に使われるのか、様子を見なければなりません。

 

23, ミレニアム・ドーム ©Grant Smith
23, ミレニアム・ドーム
©Grant Smith

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■「都市の再生」

さてここでアーバン・デザイン(都市計画)についてちょっとお話ししましょう。私は、建物と建物のあいだのスペースが一般的に少ないということが気になっていると申し上げなければなりません。たぶんヨーロッパには、スペースについて、より強い伝統がありました。たとえば1780年のローマでは、面積の3分の2がパブリック・スペースで、建物が占めていたのは3分の1だけでした。今日では、車と、民営化と、公共スペースへの関心の薄さから、どの都市でもこういうことはいえないと思います。しかしそうはいっても、いくつかの卓越した例外があります。たとえばバルセロナは、おそらくヨーロッパの都市再生の珠玉といえるでしょう。工業都市の典型的な諸問題をすべて抱えていたバルセロナは、世界で最もダイナミックで、見た目にも魅力的な都市に変身しました。この都市計画にあたった人たちの幅広いビジョンの特色は、古い港の区域を動かし、その場所に8キロメートルにおよぶ活気にみちたウォーターフロントを創り出したことでした。

やればできるのです。必要なのは、意志の力と、すばらしいデザイナーと、有能な建設業者、それだけです。同じような成果はオランダでも、またコペンハーゲンでも、イタリアでも見ることができます。イタリアではいくつもの都市で、その道路から車を閉めだしています。突如として再び、都市が人々を支配するのではなく、人々が都市の支配権をとり戻しはじめたのです。

このことはすべて、真の都市国家という定義に煮詰められます。今日、国というものを考えるとき、人々はもはや国境にはこだわらず、都市という概念でものを見ています。我々は再び、都市のプライドと力を見るようになりました。自分のアイデンティティを考えるとき、大きな地域とか大きな国の成員と自覚するのが非常にむずかしくなっている一方、むしろ都市のコミュニティの一員と感じるのは、まったくありうることと、私は思います。大きな規模で考えるより、小さい規模で考える方がずっとやさしい。だから私は、社会のネットワークの中において、星座のように連なり相互に関連し合う都市の重要性を信じるのです。

私は3年ほど前、イギリスの現政権から、都市問題特別専門委員会の委員長に指名されました。そして「都市の再生に向けて」という報告書を提出しました。そのコンセプトは都市の衰亡の原因をつきとめ、人々が都市に戻ってくるような解決案を勧告し、経済的、法制的に実現可能な枠内で、優れたデザインに基づき、社会福祉と環境の面で責任をもった都市再生のビジョンをうち立てることでした。この報告書には105を越す勧告が盛り込まれています。

勧告が目指したのはすべて、もっとコンパクトな都市を創り出すことでした。その核心の部分は、緑地には建物を建てず、その代わり、現存の都市構造を強化することでした。我々は、使用されている土地、しばしば工業用地となり汚染されている土地を再利用しなければなりません。我々は都市の外側に建設されるショッピング・センターやビジネス・パークにストップをかけ、その代わり都市のコンパクトな性格を強調しなければなりません。我々が欲しているのは、これ以上緑地を失わない、コンパクトで多元的な、よくデザインされた都市です。イギリス政府は今では、将来の住宅供給と活動のために使われるすべての土地の大部分は、都市内に限られるべきだということに同意しています。

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■都市再生、7つのキーポイント

都市再生の成功のキーポイントは次の通りです。

多様な活動:これは、互いに歩いて行ける距離内で、働き、住み、レジャーを楽しむことができるという意味です。

便利な接続:これは、具合のいい公共交通機関があり、人々が容易に街路で出会えるよう、よい計画ができていることです。街路は人々が真っ先に出会うところです。そして、広場で、また公園で出会うようになります。

環境についての自覚:我々は、現在我々が汚染し、破壊している地球に対し、長期的な責任があります。京都議定書ではっきりと定義されたように、我々、特に先進国に住む者は、地球に注意を払う責任があります。

よいデザイン:よいデザインは、その費用に引き合うものです。よく吟味されたデザインの家は、そうでない家に比べてずっと早く不動産価値が上がります。

経済的強さ:都市は経済上の指令センターとなります。

よい行政:これは明確な行政と、参加ということをも意味しています。どの都市も、人々が自分の住む都市の計画とデザインに参加できる計画センターを持つべきです。これは、よい行政のために非常に重要なことです。また、人々を社会的に包括し、巻き込んでいくことが重要です。我々は社会的に除外され、都市が崩壊していくことで、大きな被害を受けてきたのですから。政府に協力した私の仕事の中で、これまで最もむずかしかったのは、この二つの要素が必ずからみ合っているということを説明することでした。もし都市の骨組みが修復されていないなら、健康保険や学校に金をつぎ込むのはよくありません。もし人々が都市を逃げ出そうとしているなら、こうした分野に金をつぎ込むのは役にたちません。ですから我々は、美しく見えると同時に社会的プログラムをもつ都市にしなければならないのです。

エコロジー:地球が受ける唯一のエネルギーは太陽エネルギーです。世界は生きている有機体です。樹木の髄のようなもので、樹皮も髄も生きているのです。我々は、炭素を基礎とする燃料を使うかわりに、そのエネルギーが太陽から来るもの、すなわち風、水、土壌などを利用するよう努めなければなりません。建物はエネルギーの75%を食い、産業が25%を使います。オゾン層破壊や地球温暖化という問題に直面する我々は、産業による汚染を最小に押さえなければなりません。

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■新しいプロジェクト

 私はロンドンの建築と都市デザインの主任顧問という新しい仕事を始めようとしています。我々が手がけたロンドンにおけるここ10年の最大の商業開発は、カナリー埠頭とテムズ河沿いのものでした。現在、ミレニアム・ドームのちょうど後ろ側に、我々はニュータウンを建設中です。公園が中心にあり、軽便鉄道が公園の縁を走っています。誰もが自宅からこの中心部へ1分で出ることができ、近くの駅から地下鉄ジュビリー・ラインでロンドンの都心へ14分で行くことができます。この町は非常に公共交通機関を基本としているのです。

私がお見せしたロンドンやヨーロッパのすべての建物で、我々は冷却システムを採用しています。エア・コンディショニングはたくさんのエネルギーを消費し、汚染の原因となりますから、我々の設計する建物では、もう使っていません。我々はエア・コンディショニングの量を減らす方法を見つけるよう努めなければなりません。もちろん、多湿な気候の国では、これはより困難です。しかし、炭素を基礎とする燃料を使うという単純で安易な方法を使う代わりに、代替の冷却法を考えようというのは、思考の問題であります。

私は最後に、我々がかかわっている2つのプロジェクトに短くふれておきたいと思います。

我々は8年前、上海のプロジェクトに取り組みました。我々の目標は陸家嘴地区の50万人の人々を収容する住宅を作ることでした。これは長期開発計画に基づき、それぞれ8万人が住む6つの居住地区を作ろうというもので、我々はそれぞれの居住地区を結ぶ鉄道と中央公園を巡る軽便鉄道を組み入れ、その軽便鉄道を利用して水の供給が容易に行えるように計画しました。ここには、住み、働き、レジャーを楽しむというコンセプト、そして低エネルギーと、よい交通機関というコンセプトが生かされています。

フィレンツェでは、我々はカステロ地区再開発に関与しました。このアイディアは大いにエコロジーに根ざしています。その主な特徴は中央に大きな水のプールがあることで、使用エネルギーを最小限に押さえるために、そこを吹き渡る風が町中に冷気を運んでくるというアイディアによっています。

最後に、私自身のオフィスについてお話ししましょう。およそ120人が働くオフィスで、その3分の2が建築家、うちディレクターが11人います。私は生涯を通して、非常に有能な多くの人たちとともに働くという幸運に恵まれました。

我々のオフィスの一部は古いビルを改装したもので、会議もだいたいここで開きます。依頼主がこうした会議に出席することもよくあります。月曜日は基本的にデザイン・ミーティングの日としてあり、我々はこの日はもっぱらデザインに集中します。我々は図面を壁に貼り、誰でもこの部屋に来る人と議論を交わします。

我々はまた素敵なリヴァー・カフェをもっており、私の妻がここのシェフです。ここでも我々は、腰をおろして話をし、アイディアを交換し、人々と接触を持つのです。公共のスペースは我々のコミュニティの核心であり、生気にあふれた都市の核心なのです。

 

オフィスにて ©Sankei Shimbun
オフィスにて
©Sankei Shimbun