ニキ・ド・サン・ファール

Niki de Saint Phalle

プロフィール

  豊満な女性「ナナ」に代表される自由奔放で色鮮やかな造形は現代アートの世界でもひときわ異彩を放つ。様々なポーズをとるナナは、女性の様々の生き方の象徴であり、大地母神の象徴であって、おおらかな生命力に溢れている。
  1930年、フランス、パリに生まれ、ニューヨークで育つ。青春時代にはモデルとしてヴォーグやライフの表紙を飾った。25歳のとき、バルセロナでガウディの「グエル公園」を見て感動し、芸術に生きることを決意。後に生涯のパートナーとなるスイス人のアーティスト、ジャン・ティンゲリーと出会う。31歳のとき、「射撃絵画」で美術界に衝撃を与えた。絵の具を入れた缶や袋を板やオブジェに石膏で塗りこめ、それをライフルで撃って絵の具を飛び散らせるという暴力的なものであった。しかし5年後、女性像の連作「ナナ」シリーズへ変身をとげる。それは痛みや苦しみを乗り越えて生きる喜びを伝えたいという彼女自身の成長によるものという。ティンゲリー(1991年死去)と構想した彫刻庭園「タロット・ガーデン」を98年、イタリアのトスカーナ州に自費で完成させた。栃木県の那須にも94年に「ニキ美術館」がオープンした。2002年死去。

詳しく

  ニキ・ド・サン・ファールは1930年、フランス人の父親とアメリカ人女優との間に出生した。幼児期からニューヨークで育ち、修道院女学校と家庭で厳格なカトリック教育を受けた。
  18才で結婚し、21才で長女ローラを出産するが、美貌をかわれて「ライフ」や「ヴォーグ」など一流雑誌の表紙を飾るほどのモデルをつとめる。しかし、少女時代から内面に欝屈する反抗の思いが強く、ただ美しい装いだけのモデルの生き方には耐えられなくなってゆく。ニキは自己解放と治癒のために芸術家の道を進むことを選んだ。
  1955年、25才はニキにとっての運命的な転機の年であったということができよう。一つは南仏オートリーヴにあるF.シュヴァル(1836-1924)の不思議な城を見た事。二つめは、スペイン・ヴァルセロナにあるA.ガウディ(1852-1926)のグエル公園を訪れたことであった。ニキは「まさに神の啓示をうけた如く、自分も生涯において、必ず理想宮を作るであろうことを予感した」という。
  最後にこの年、やがて終生の制作パートナーとなるスイス人、動く鉄のアーティストと言われたジャン・ティンゲリー(1925-91)に出会っている。彼から「技術なんかは何でもない。夢こそ全てだ」と励ましを受ける。この言葉は美術教育を受けていないニキにとって制作の支えとなり、以後、その芸術活動は開花していったのだ。
  60年代初頭の銃による「射撃絵画」は、教会、学校、家庭など偽善的支配的社会の醜悪な面を暴き撃つことによって、社会と美術界に衝撃を与えた。このことについてニキは、「テロリストになる代わりにアーティストになった」と語っている。
  最初は、単なる板、又はただワイヤを巻いただけの物に、絵の具の缶や袋を石膏で塗り込めて、それをライフルで撃つ。その時、絵の具の飛散した作品は、あたかも血を流す生贄となり、それが葬礼の儀式となる。「犠牲者なき殺戮であった」とニキは言う。
  そのうち、射撃の内容に意味が加わってゆく。女を取り巻き窒息させる状況を、在り物、既製物を使って表現してゆく。ニキは62年、「祭壇」を作り、「怪物のハート」、「キング・コング」、「赤い魔女」などの代表作を次々と産み出していった。
  この時期を“怒りの量的生産時代”ということが出来ると思う。怒りの対象が、女の私的状況から社会的状況に変わってゆくのがめざましい。ニキは世界と対峙し“世界を掴んだ”といえる。独自の表現に至ったのだが、それは出発のほんの始まりに過ぎなかったという所がまた凄い。今世紀を代表する一人の天才芸術家の誕生が、まさにこの時期に形成されたといっても過言ではないであろう。
  そして、質量共に過激さの増大してゆく怒りの制作時代、嵐のような悪魔祓いの儀式「射撃」は突如、終焉を迎える。
  自己の作品をすべて自分史といいきるニキは、次に「女の役割」の表現に目を向けた。「花嫁」、「妊娠」、「出産」、「母親」それぞれのシリーズは、「射撃」によって自らの欝屈を解き放ったのちのどちらかといえば客観的な、そしてかなり苦渋に満ちた作品群である。痛烈な自己透視すら感じられる。
  ニキの言葉によれば「大変苦しみながら」これらを制作していたが、当時、隣のアトリエにいた友人、クラリスが妊娠し、日々膨張、豊満になっていくのを見てインスピレーションを得、「ある日突然、自由になった」ニキは、65年、「力を持ったナナ達」など、後年、代表作といわれる一連の自信と力に溢れる、豊満な女像「ナナ」シリーズを次々と生み出していくのだ。こう見ていくと、常に真摯であり続けたニキの姿勢が作品から伝わってくる。
  その後も、精力的に優れた作品を発表しつつ、そしてついに98年、生涯の夢であった理想宮、彫刻公園をイタリア・トスカーナの丘に完成させて、今日に至っている。

増田静江
 
2002年5月、アメリカ、サンディエゴで逝去

略歴


1930  10月29日、パリ郊外に生まれる
本名カトリーヌ・マリー=アニエス・ファール・ド・サン・ファール
銀行家の父が大恐慌で破産、両親と離れて仏の祖父母のもとで過ごす

1933 アメリカ、コネチカット州の両親のもとへ

1937 一家はニューヨークへ移る
女子修道院付属小学校に入学、厳格なカトリック教育を受ける

1948 メリーランド州、オールド・フィールド校を卒業後、「ヴォーグ」、「ライフ」誌のモデルとして活躍。ハリー・マシューズと結婚

1950 マサチューセッツ州ケンブリッジに移る
油彩画、グワッシュなどの制作を始める

1951 ボストンで娘を出産 

1952 ヨーロッパへ移住
パリで演劇を学び始める
翌53年神経症を患いニースで一年療養し、絵を描くことで回復を得る

1954 アメリカ人画家ヒュー・ワイスから絵画の指導を受ける

1955 マヨルカ島で息子を出産
ガウディの建築 「グエル公園」 に感銘を受け、後にタロット・ガーデンへの計画へと結び付く
ルーヴル美術館でクレー、マティス、ピカソ、ルソーの作品に触れる
ジャン・ティンゲリー夫妻との最初の出会い

1956 スイスで石膏レリーフとアッサンブラージュによる最初の個展

1959 ジャクソン・ポロック、イヴ・クライン、ロバート・ラウシェンバーグ等の作品に出会う

1960 マシューズと離婚
ティンゲリーとスタジオを共有する。「射撃絵画」が生まれる

1961-63 「射撃絵画」で一躍注目を浴びる
パリ、ストックホルム、ニューヨーク、カリフォルニアで 「射撃」 のパフォーマンスを行う
ヌーボー・レアリスムのグループ唯一の女性メンバーとなる

1962 ニューヨークで初の個展
パリで画家ヴィクトア・ブラウナー、マックス・エルンスト、ルネ・マグリットらに出会う

1963 ティンゲリーとパリ郊外に移る
花嫁、娼婦、出産、魔女などをテーマに制作
これらの作品から65年、「ナナ」が 生まれナナ・シリーズの制作が始まる

1966 ティンゲリー、ウルトヴェットと共にストックホルムの近代美術館に巨大なナナ像「ホーン」を制作

1967 アムステルダム、ステデリク美術館で初の回顧展
カナダ、モントリオール万博の仏パビリオンにティンゲリーと 「幻想楽園」 を共同制作
南仏のマーグ財団に 「ナナ・ハウス」 を設置
ポリエステルを素材に使用し始める

1968 ドイツで初めての戯曲 「イッヒ」 を上演、脚本と舞台装置を担当

1971 ティンゲリーと結婚

1974 長年のポリエステル使用のため呼吸困難になり、スイスで治療を受ける

1979 タロット・ガーデンの建築着工、スキニーズ・シリーズを制作
東京で初の個展 (82年 ギャルリー・ワタリ、80、82、86年 スペース・ニキ)

1980 パリ、ポンピドー・センターで大回顧展

1983 ポンピドー・センター前広場に 「ストラヴィンスキーの噴水」 をティンゲリーと共同制作
ガラスや鏡、陶片を素材に使用し始める

1986 エイズ対策のための絵本 「エイズ、手を握ったってうつらない」 (5ヶ国語に翻訳) のイラストを描く

1987 ナッソー美術館でアメリカ初の回顧展

1989 ブロンズでエジプトの神々のシリーズを制作

1991 ティンゲリー死去
初めてのキネッティックアート 「メタ・ティンゲリー」 を制作

1992 ドイツ、ボンの国立絵画展示館開館の際、ニキの大回顧展が開催される

1994 那須にニキ美術館、東京にニキ・スペースがオープン
カリフォルニア州、サンディエゴ近郊に居を移す

1995 映画 「ニキ―美しいひと獣―」 (ペーター・シャモーニー監督)が国際映画祭で上映される 

1998 イアリア、トスカナ地方に、約10年の歳月をかけた自費による彫刻庭園
「タロット・ガーデン」 を完成させる

2000 高松宮殿下記念世界文化賞・彫刻部門受賞

2002 5月、アメリカ、サンディエゴで逝去

主な作品 1961    「アメリカ大使の射撃」 (JGM.ギャラリー、パリ)
1962-63 「赤い魔女」 (ニキ美術館、那須)
1968    「ミス・ブラック・パワー」 (彫刻の森美術館、箱根)
1972    映画「ダディー」
1972    「ル・ゴレム」 (エルサレム、ラビノヴィチ公園)
1973    「ドラゴン」 (ベルギー、ナレンス夫妻の子供部屋)
1975    映画「夜よりも長き夢」
1983    「太陽神」 (カリフォルニア大学、キャンパス)
1990    「トエリス」、「ホルス」 (ニキ美術館、那須)
1991    「ギルガメッシュ」 (ニキ美術館、那須)