ジョン・ギールグッド

John Gielgud

プロフィール

  英国が誇る名優。20世紀最高のハムレット役者と謳われ、「絹にくるまれた銀のトランペット」と称えられる美しい声と知的な演技で、舞台、映画で気品ある名演技を見せた。
1904年、ロンドン演劇界の名門家庭に生まれる。王立演劇学校などに学び、17歳で舞台デビュー。29年以降、オールド・ヴィック座でシェイクスピア劇の大役を次々と演じ、名声を不動のものとする。特に31年に初めて演じたハムレットは絶賛され、ニューヨークのブロードウェイにも進出し、ロングラン記録を作る。また、チェーホフ、イプセン等の近現代劇でも名演技を残す。50年代以降は演出を手掛け、「空騒ぎ」、「桜の園」、リチャード・バートン主演の「ハムレット」など名舞台を創る。映画でも「ジュリアス・シーザー」(1953)、「リチャード3世」(1955)、「ベケット」(1964)等に出演、「ミスター・アーサー」(1981)でアカデミー助演男優賞を受ける。主演作「プロビデンス」(1977)ではニューヨーク映画批評家協会最優秀男優賞を受賞した。
60歳を過ぎてからも新しい演劇に挑戦し、舞台ではデイヴィッド・ストーリーの「ホーム」(1970)や、ハロルド・ピンターの「無人地帯」(1975)、映画でも「プロスペローの本」(1991)などの前衛的作品に出演した。53年、ナイトの称号を受ける。2000年死去。

詳しく

  イギリスにおける最長老の名優で、今世紀最高のハムレット役者……と賞賛の言葉は尽きない。1953年にナイトの称号を授けられたジョン・ギールグッドは、演劇、映画界で抜群の業績を挙げ、90歳を超えてもなお映画にも出演し、低音の美声によって詩などの英文学作品の朗読も続けている。

1904年、ロンドンの裕福な家庭に生まれた。大伯母は20世紀前半のイギリスの大女優エレン・テリーという環境のもとで、「7歳のとき、劇場へ行ったその瞬間に、芝居に恋をしてしまった」という早熟な少年だった。ロンドンの劇場街ウエスト・エンドのオールド・ヴィック劇場で修行のかたわら、王立演劇学校(RADA)で学び、シェイクスピア劇で演技の基礎をかためた。
とくに、オールド・ヴィック劇場でマクベス、ハムレット、リア王などシェイクスピア劇の主だった主人公を数多く手がけたことが大きかった。なかでもハムレット役は15年以上にわたって異なる演出、キャストで試行錯誤を重ねながらキャリアを積み、ギールグッドならではのハムレット像をつくり上げた。しかし、45歳でハムレットを演じることをやめている。
それは世界中の人々に『ハムレット』が知られすぎている困難との闘いでもあった。観客はハムレットのセリフを空んじている。そこで役者はハムレット役に自分自身の光を投影しながら、ハムレットとはギールグッドのような人と観客に納得させなければならない。その後、シェイクスピア劇の演出も手がけ、リチャード・バートンを演出した話は広く知られている。そのとき、ギールグッドはバートンに次のようにアドバイスしている。
「個々の場面だけの演技であってはならない。ハムレットの役柄全体と、劇中で何が起きるかをよく考えて演じなさい」
そうすることによって、物語を熟知している観客を「おなじみの古典劇」という呪縛から解き放ち、新鮮な感動を与えることができるという。現在も世界中でひんぱんに『ハムレット』が公演されている。時代を現代に置き換えたり、衣装を今風に改めたり、現代音楽を多用したり……。しかし、彼は「新しいハムレット」に否定的だ。「シェークスピア劇の大半はルネサンス時代の物語で、やはり16、17世紀の衣装でやるべきだ。奇抜な演出で受けたといっても、月並みな演技では成功したとはいえない」とシェイクスピア劇の本質をついている。
そのハムレットはローレンス・オリヴィエのハムレットと絶えず比較されてきた。オリヴィエが躍動感にあふれていたのに対し、ギールグッドは内面的に抑制した動き、詩を歌い上げるようなセリフに魅力があったという。こうして異なるタイプのハムレットが演じられ、イギリスの観客は両者を比較対照して眺めるというぜいたくを味わった。演劇の老舗イギリスならではの水準の高さだろう。
ハムレットと並んで評価が高いのが『リチャード二世』。この浅はかな男が持ち役とは驚きだが、それは性格俳優ならではの演技のたまものだった。彼は自身の人間性の最も悪い部分を駆使して演じたと述懐している。
また、彼は古典劇に安住することなく、たえず演技の領域を広げていった。チェーホフやバーナード・ショーなどの近代劇、さらにはハロルド・ピンターやデイヴィッド・ストーリーらの現代劇にいたるまで幅広い。とくに、忘れてならないのは『桜の園』や『かもめ』などのチェーホフ劇。ギールグッドにとってシェイクスピアが詩文のようなセリフ劇であったのに対し、チェーホフ劇は観客に身近な存在であり、同時代の観客に向かうように演じることができたという。両者が絶妙なバランス関係にあることを発見して、さらに一歩前進する。
映画でも『ジュリアス・シーザー』(1953)、『プロビデンス』(1977)、『ミスター・アーサー』(1981)、『炎のランナー』(1981)、『プロスペローの本』(1991)、『シャイン』(1996)などで強い印象を与えている。演劇で培った実力は、映画というメディアを通じて日本でもおなじみとなった。そして、歌舞伎俳優の松本幸四郎ら、ギールグッドの知遇を得た人たちによって、その業績が語り継がれていくことだろう。


小田孝治

 

2000年5月21日逝去

略歴

  1904
4月14日、ロンドンに生まれる
  1921 オールド・ヴィック座で「ヘンリー5世」の伝令役でデビュー
  1924 オックスフォード劇団の「桜の園」でトロフィーモフを演じ最初の成功をおさめる。映画初出演(Who Is the Man?)
  1929-30 オールド・ヴィック劇団に入団。ハムレット、リチャード2世などシェークスピア劇の大役を数多く500回にわたり演じる
  1930 オールド・ヴィック劇団で「テンペスト」のプロスペロー役、オスカー・ワイルド「誠こそたいせつ」のワージング役など
  1934 「ハムレット」を自主公演。主演、演出し絶賛をあびる
  1935 ニューシアターでロミオとマーキュシロをローレンス・オリヴィエと交替で演じ大ヒット、186 回という大ロングランとなる
  1936 「ハムレット」をニューヨークのブロードウェーでレスリー・ハワードと競演。映画「秘密情報員」に主演
  1937-38 「ヴェニスの商人」のシャイロックを主演、演出
  1938 自伝「初期の舞台」出版
  1942 「マクベス」に主演
  1946 ドストエフスキーの「罪と罰」でラスコーリニコフを演じ絶賛される
  1950 シェークスピア記念劇場で「尺には尺を」のアンジェロ、「空騒ぎ」のベネディック、「リア王」のリア王を演じる
  1953 ナイトの爵位を授与される
  1955 映画「リチャード3世」
  1956
映画「80日間世界一周」
  1961 オルドウィッチ劇場で独創的な解釈で「桜の園」を演出、自らもガーエフを演じ評判を呼ぶ
  1963 随筆・手記「舞台演出」出版
  1970 映画「ジュリアス・シーザー」
  1972 著書「すぐれた劇団」
  1973 モームの「忠実な妻」をイングリツド・バーグマン主演で演出
  1974 映画「オリエント急行殺人事件」で英アカデミー助演賞
  1977 国立劇場で「ジュリアス・シーザー」のシーザーを演じる
  1979 自伝「一人の俳優とその時代」
  1981 映画「炎のランナー」
映画「ミスター・アーサー」でアカデミー賞助演男優賞
  1991 映画「プロスペローの本」。テレビ“Summer's Lease”でエミー賞主演賞
  1994 高松宮殿下記念世界文化賞、演劇・映像部門受賞
  2000 5月21日、イングランド、エイルズベリーで逝去