指揮台の上では威厳と包容力に満ち、内なる情熱でオーケストラを導く。が、そこから離れると、気さくで茶目っ気たっぷりの素顔があらわれる。
インド・ボンベイ(現ムンバイ)のパールシー人(イスラム教徒の迫害を避けて、7世紀にインド各地へ亡命したゾロアスター教徒)一家に生まれ、ヴァイオリニスト兼指揮者の父メーリ・メータに最初の音楽の手ほどきを受けた。ウィーン国立音楽院ではハンス・スワロフスキーの薫陶を受け、
クラウディオ・アバドと同門だったことは有名だ。
22歳でリバプールの国際指揮者コンクールに優勝し、翌年本格デビュー。モントリオール交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニック、ニューヨーク・フィルハーモニック、バイエルン州立歌劇場などの音楽監督を歴任してきた。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との関係も深く、4度もニューイヤーコンサートのタクトを振っている。
レパートリーも広い。ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、マーラーなど重厚な音楽を得意とする一方、オペラにも情熱を注いできた。現代音楽の演奏にも積極的だ。
指揮者に必要な第一の資質は「知識」と言い切る。「ハイドン、ベートーヴェン、ワーグナー、シェーンベルク…と、約50年ごとに変わる様式に通じるとともに、作曲家とその書法を知り、自分の解釈を的確にオーケストラに伝えなければなりません」
その意思疎通が最も成功しているのは、30年以上も相思相愛で、終身音楽監督を務めるイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 (IPO)とであろう。音楽的相性だけでなく、政治的な意味合いを持つオーケストラの指揮者として、一人の人間として、何ができるかを常に考えてきた。
「音楽家は紛争状態にある人々の国境を変えることはできないが、人々を集わせるため、演奏することはできます。イスラエルでのコンサートに同席するアラブ人とユダヤ人は政治的には一致していないが、ともにベートーヴェンを愛しています。IPOとともにエジプトとシリアで演奏するのが夢です」
2008年10月には、父の生誕100年を記念し、IPOを率いてムンバイで演奏会を開き、親友のプラシド・ドミンゴとダニエル・バレンボイム(2007年受賞者)も参加した。