詩人の心を宿したマルチな造形芸術家である。表現の技法がきわめて多彩だ。油彩の絵画であったり、アングルの《グランド・オダリスク》などフランスの歴史上の名画をネガ処理した平面作品であったり、ブロンズの彫刻であったり、またネオンサインを使った立体オブジェであったり、時には映画もつくる。心のおもむくまま、自由に表現活動をするのが彼の流儀だ。
12歳で絵画と詩を始めた。幼い頃、父親が南フランスのヴァロリスに陶器の工場を持っていた。そこでペタンクというゲームをしながら父と遊んでいたのが、有名になる前のピカソだったという。
1955年に最初の詩集を発表。2年後、ニースで開かれた現代作家展にモビールと詩を書いたオブジェを展示し、注目された。その翌年の個展では、詩人であり小説家、劇作家、評論家でもあるジャン・コクトーの絶賛を浴びた。
1960年、大量生産品や廃棄物などを使って美術品を作り出すなど、工業化社会の新しいリアリティを模索する前衛芸術運動「ヌーヴォー・レアリスム」に共鳴。イヴ・クラインらとその宣言に署名し、運動の旗手として脚光を浴びた。翌年、ニューヨークに進出。それから3年後にニューヨークの画廊で発表されたのが、《グランド・オダリスク》の顔を強烈な色彩でアレンジした《メイド・イン・ジャパン》のシリーズである。
「メイド・イン・ジャパンのタイトルをつけたのは、当時、私が日本の製品を高く評価していたから。より安く、高性能なアングルの作品を作ったらおもしろいぞ、と思ったのです」
まるでポスターを思わせるこれら作品の中に、ハエとガラス片をつけ加えることで、彼は伝統絵画の模倣性や気取りを批判するという効果をもたらしたのである。
1978年、南西フランスのワインの町、ベルジュラックの郊外の廃墟同然だった農家を買い取って居を構えた。「私の作品の40−50%は妻の影響がある」という画家の夫人と共に田園生活を送りながら、そこにあるアトリエで今も様々な作品を生み出している。世界各国で個展が開催されており、今年も5月から9月までパリのポンピドゥー・センターで200点を展示する大回顧展を開催。
清少納言から夏目漱石、永井荷風まで愛読する日本通でもあるが、来日は今回が初めて。