トム・ストッパード

Tom Stoppard

プロフィール

  チェコのユダヤ系の家系に生まれた世界的な劇作家。ナチスの迫害を逃れて祖国からシンガポールへ移住し、10歳のとき、母親と共にインドから英国へ渡る。地方の新聞社を経てフリーのジャーナリストとして働きながら、テレビやラジオ劇の作品を執筆。1967年にロンドンで初演された『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』が、現代演劇を代表する傑作として高い評価を獲得、翌年トニー賞を受賞。劇作のほか映画の脚本や翻訳・翻案作品の台本も多数手がけ、幅広い分野で才能を発揮している。98年の『恋におちたシェイクスピア』はアカデミー賞脚本賞をはじめ、世界各国の映画賞を受賞。2009年9月12日から10月4日まで、上演時間9時間を超える大作『コースト・オブ・ユートピア』が、蜷川幸雄演出で日本初演し、好評を博した。

詳しく

  『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』などの舞台で知られる英国を代表する劇作家。アカデミー賞脚本賞を獲得した『恋におちたシェイクスピア』をはじめ、映画の脚本家としても世界的な評価を受けている。

チェコスロバキア(現チェコ)のユダヤ系家庭に生まれ、1939年にナチスの迫害を逃れ一家でシンガポールに移住。その後、医師だった父親は戦禍に巻き込まれて亡くなり、インドで英国の軍人と再婚した母親と共に10歳のとき、英国へ移った。

17歳で高校中退後、地方の新聞社に就職。ジャーナリストとして働きながらテレビやラジオ劇の台本を書き始めたが、「私が劇作を始めたのはまさに歴史のいたずら」と振り返る。

29歳のときの代表作『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』は、シェークスピアの戯曲『ハムレット』に登場する2人の端役に視点を当てた不条理劇。批評家の絶賛を浴び、一夜にして英国演劇界の寵児となった。その後、『ジャンパーズ』『アルカディア』『ロックンロール』など次々とヒット作を連発、これまでにブロードウェイで最も権威あるトニー賞を4回も受賞し、候補にも3回挙がった。

「子供のころから本の虫で、読み物がなくては食事をするのもつらく、食卓塩のラベルでもいいから読みたかった」。書物に埋もれた生活で培った鋭敏な言語感覚と豊富な知識が生み出す舞台は、刺激と興奮に満ちている。だじゃれやパロディーなど言葉遊びを駆使した作風から、“言葉と思想の魔術師”の異名もある。「演劇は最高の理性的(インテリジェント)な娯楽」と語るストッパードの演劇は、その信念を反映している。

劇作とは別に『未来世紀ブラジル』『太陽の帝国』など数多くの映画脚本も手がける。『恋におちたシェイクスピア』ではアカデミー賞のほか、ゴールデン・グローブ賞、ベルリン国際映画祭功労賞などを総なめにした。

人権問題にも深い関心を持ち、旧ソ連、東欧諸国の表現の自由への弾圧、抑圧的な政権を扱った作品も少なくない。最近、益々、社会的な問題を題材にすべきだと考えるようになったという。また、本好きなストッパードは、170年前に創立された民間最大の図書館「ロンドン・ライブラリー」の理事長も務める。

2009年9月12日から10月4日まで、19世紀のロシアを舞台にした壮大な歴史ロマン『コースト・オブ・ユートピア』3部作(2007年 トニー賞受賞)が、蜷川幸雄氏の演出により計9時間を超える大作として、東京・渋谷のシアターコクーンで日本初演し、好評を博した。

 

略歴


1937 チェコスロバキア(現チェコ)に生まれる

1939 両親とシンガポールへ移る

1941
母親とインドへ移る

1946 父親がシンガポールで死去、母親がイギリス軍人とインドで再婚

1947 イギリス・ブリストルへ移る

1954 ブリストルの新聞社で記者として働く

1960 フリーランスとなり、評論や劇作を始める

1967 『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』

1968 トニー賞(1976,1984, 2007にも受賞)

1972 『ジャンパーズ』

1978 大英帝国四等勲士(O.B.E.)の称号

1982 『ザ・リアル・シング』

1987
『太陽の帝国』(映画脚本)

1993 『アルカディア』

1997 『恋の発明』
ナイト爵位

1999 映画『恋におちたシェイクスピア』(1998)でアカデミー賞脚本賞

2002 『コースト・オブ・ユートピア』3部作

2006 『ロックンロール』