マース・カニングハム

Merce Cunningham

プロフィール

  振付師、舞踊家とし、舞台芸術界に多大な影響を与えてきた。マーサ・グラハムの舞踊団を経て、ジョン・ケージとの出会いから独自の道へ。舞踊と音楽を「同じ時間を共有しつつ、別の行為として提示すること」を模索した。ロバート・ラウシェンバーグやアンディ・ウォーホルらとのコラボレーションのほか、「シナリオ」ではコム・デ・ギャルソンの川久保玲ともジョイント。サイコロの目やコインの表裏による「偶然性」の手法も採用、作品の構成や動きから音楽、衣装、照明の組み合わせも決める。振り付けにはコンピューターの三次元ソフトを利用、「人体の限界のなかでも、やれることは無限にあり、追求したい」と、盛んな創作意欲をみせる。

詳しく

  性差すらも超え、人体そのものの動きを抽出してみせるマース・カニングハム。振付師、舞踊家として、舞台芸術界に多大な影響を与えた。多彩なアーティストとの交流やコラボレーションを通じた芸術全般への貢献は計り知れない。
1939年にマーサ・グラハムと出会い、舞踊団に参加。花形として活躍するが、ジョン・ケージとの出会いにより、独自の道へと進んでゆく。ケージとは1944年、初のコラボレーションを行い、これが一大転機となった。
  「舞踊と音楽を、同じ時間を共有しつつ、別の行為として提示する。異なった二つの動きが同時に進行することで、シナジー効果が生まれる」
  その後、ロバート・ラウシェンバーグジャスパー・ジョーンズ、フランク・ステラ、イサム・ノグチ、アンディ・ウォーホルらとコラボレーション。1997年の「シナリオ」では、コム・デ・ギャルソンのデザイナー、川久保玲がコスチューム、舞台デザイン、照明を担当した。
  こうしたコラボレーションを通じて、音楽、美術、そしてダンスによる静謐(せいひつ)の世界を創造していった。
  また、舞踊に「偶然性」を取り入れようと、サイコロの目やコインの表裏によって、作品の構成、動きはもちろん、音楽、衣装、照明などの組み合わせも決めるという、実験的な試み「チャンス・オペレーション」を実践した。
「チャンス・オペレーションは、往々にして、人間には不可能なことをもたらすが、それを試みることによって、新しいものを生み出す機会となる」と言う。
  積極的に先進技術を取り入れ、振り付けにコンピューターの三次元ソフトを使う。画面上では人体に不可能な動きも表現できる。「テクノロジーは新しい扉を開けてくれる。人体の限界のなかでも、やれることは無限にあるのです」と、その可能性を追求し続けている。

  

2009年1月13日、ニューヨークにて逝去

 

略歴

  1919  アメリカ・ワシントン州セントラリアに生まれる
8歳からダンスを始める
  1937 シアトルのコーニッシュ芸術大学で舞踊と演劇を学ぶ
在学中にジョン・ケージと出会う
  1939 カリフォルニア州ミルズ・カレッジのダンス夏期講習でマーサ・
グラハムと出会う 
秋にはグラハム舞踊団に入団(-1946)、ソリストとして活躍
  1944 ケージとの本格的な活動を開始
ニューヨークで最初のジョイント・コンサートを開催
  1947 リンカーン・カースティンの依頼で音楽ケージ、美術イサム・ノグチの
「四季」を創作
  1948 初めてブラック・マウンテン・カレッジを訪れ、ラウシェンバーグらと出会う
  1953 マース・カニングハム舞踊団を結成
  1954 カニングハム、ケージ、ラウシェンバーグの最初の作品「ミヌーシィ」
  1964 6ヶ月にわたるヨーロッパとアジアの公演旅行、日本公演も行う
  1966 パリの国際舞踊フェスティバル創作部門で金賞
  1984 アメリカ芸術・文学アカデミーの会員に選出される
その他、受賞多数
  1993 ナショナルミュージアム・オブ・ダンスからダンスの殿堂入りを認められる
  1997 「シナリオ」(川久保玲が美術・衣装を担当)ブルックリンで初演
翌年、日本公演
  1999 ニューヨークのリンカーンセンター・フェスティバルでこれまでの作品や
新作を上演
  2003  カンパニー50周年を記念して「スプリット・サイズ」を創作
フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章オフィシエ章
  2009 7月26日、ニューヨークの自宅にて逝去