ギドン・クレーメル

Gidon Kremer

プロフィール

  ラトビア(旧ソ連)のリガ出身(ラトビア・ドイツ二重国籍)。両親と祖父がヴァイオリニストという音楽一家で育つ。16歳で国内の音楽コンクールで優勝。1969年パガニーニ国際、1970年チャイコフスキー国際の各コンクールで一位となる。1976年にヘルベルト・フォン・カラヤンに抜擢され、ベルリン・フィルと共演、世界のトップ・ヴァイオリニストの地位を確立する。ニコラウス・アーノンクール、レナード・バーンスタイン小澤征爾ら約500人の指揮者と共演し、120枚以上のアルバムを発表。一方で、アルフレッド・シュニトケら旧ソ連の現代作曲家や、アルゼンチンのタンゴ奏者アストル・ピアソラの作品を取り上げ、世界に紹介する。オーストリアの「ロッケンハウス音楽祭」、バルト3国の室内楽団「クレメラータ・バルティカ」の創設など若手演奏家の育成に尽力。1977年の初来日公演以降、日本各地で公演している。

詳しく

  ラトビア(旧ソ連)のリガで、両親と祖父がヴァイオリニストという音楽一家に育ち、4歳から英才教育を受けた。「もちろん努力は必要だが、私の運命は生まれる前から決まっていた」と振り返る。
 16歳で国内の音楽コンクールで優勝。2年後にはモスクワ音楽院で、ダヴィッド・オイストラフに師事する。1969年にパガニーニ国際コンクール、1970年にはチャイコフスキー国際コンクールで一位となり、注目を浴びる。
 1976年にヘルベルト・フォン・カラヤンに抜擢され、ブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』をベルリン・フィルと共演。そこで高評価を得ると、翌1977年にはニューヨークに進出、世界のトップ・ヴァイオリニストの地位を確立した。
 1970年代末、西ドイツへの期限付き在留が例外的に認められると、期限後も住み続けて広範に活動。このため、ラトビアとドイツの国籍を持つ。これまでに、カラヤンやレナード・バーンスタイン小澤征爾、サイモン・ラトルら約500人の指揮者と共演し、120枚以上のアルバムを発表。中でも、ニコラウス・アーノンクールからは古典音楽の解釈を学び、大きな影響を受けた。
 一方で、アルフレッド・シュニトケアルヴォ・ペルトソフィア・グバイドゥーリナといった旧ソ連の現代作曲家、アルゼンチン・タンゴのアストル・ピアソラらの作品を盛んに演奏し、世界中に紹介。「音楽はこの世でまだ数百年の歴史しかない若い芸術。だから、私にとっては古いも新しいも同じこと。それに、昔の友情を継続するのは当たり前」と語る。
 若手育成にも尽力。1981年にオーストリアで「ロッケンハウス音楽祭」を創設、室内楽の向上・普及に努めたほか、1997年には、バルト3国の若手演奏家を集めた室内楽団「クレメラータ・バルティカ」を結成。同楽団は2009年に「若手芸術家奨励制度」の対象団体に選ばれた。
 「若い音楽家には『常にオープンであれ。自然や音楽に心を開き、お互いを聴き合うこと。そして、楽器の奴隷になるという過ちは犯すな』と言いたい」
 1977年の初来日公演以降、日本各地で公演。来年は、「クレメラータ・バルティカ」創設20周年、本人70歳を記念して、さまざまな活動が企画されている。

略歴

  1947 ラトヴィア・リガに生まれる(ラトビア・ドイツ二重国籍)
  1954 リガの音楽学校入学
  1963 ラトヴィア国内の音楽部門コンクールで優勝
  1965 モスクワ音楽院でダヴィド・オイストラフに師事
  1967 エリザベート王妃国際コンクール3位入賞
  1969 パガニーニ国際コンクールで1位
  1970 チャイコフスキー国際コンクールで1位
  1975 西ドイツのコンサートで西側デビュー
  1976 カラヤン指揮ベルリン・フィルと共演、ブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』録音
  1977 初来日公演
  1978 バーンスタイン指揮イスラエル・フィルと共演
  1979 ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルとチャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』を録音
  1980 西ドイツに移住
  1981 親交のある音楽家と共にロッケンハウス音楽祭を創設
  1997 クレメラータ・バルティカ室内楽団を創設
  2001 ユネスコ国際音楽賞
  2002 グラミー賞最優秀室内楽演奏賞受賞
  2002-06 バーゼルの音楽祭の芸術監督
  2009 クレメラータ・バルティカが「若手芸術家奨励制度」対象団体