ピーター・ブルック

Peter Brook

プロフィール

  半世紀近くにわたって演劇の最先端を切り開いて来た演出家、映画監督。古典を現代の視点からとらえ直し、あるいは文化の融合により既成概念を越えた舞台を創り出している。
  1925年、ロンドン生まれ。オックスフォード大学在学中の17歳で演出家デビュー。20歳の史上最年少でロイヤル・シェイクスピア劇団(RSC)の演出家に、22歳でロイヤル・オペラハウスの制作主任に。世界各都市で斬新な実験的演出を行って国際的評価を高める。
  60年代はRSCを中心に活動。不条理劇風の「リア王」(1962)や白一色の舞台でサーカス風の「真夏の夜の夢」(1970)など英国演劇史に残る名舞台を、また、俳優の即興を重視した新たな試みで「マラー/サド」(1964)など衝撃的な舞台も創り出す。71年に本拠をパリに移し、国際演劇創造センターを設立。“異なるものの出会い”で生まれる新たな創造をめざす。イランのペルセポリスで人造言語による神話劇「オルガスト」(1971)を上演。古代インドの長編叙事詩にもとづく9時間の大作「マハーバーラタ」(1985)は集大成になった。また、オペラ「カルメンの悲劇」、「アセンズのタイモン」、「桜の園」、「テンペスト」など、シンプルな舞台装置によるユニークで時間空間を越えた舞台を次々に生み出している。
映画作品には「三文オペラ」(1952)、「雨のしのび逢い」(1960)、「蝿の王」(1965)など。日本では「カルメンの悲劇」、「桜の園」、「マハーバーラタ」、「テンペスト」、「ドン・ジョバンニ」が上演されており、97年にサミュエル・ベケット「しあわせな日々」を演出した。

詳しく

  半世紀にわたって世界の演劇界をリードしてきたピーター・ブルックは「演劇の魔術師」と呼ばれる。演出作品の舞台と観客のあいだに自然にかもしだされてくる熱気、エネルギーこそ演劇の喜びであり、人間の真実へと導いてくれる。それは魔術としかいいようがない。

  ブルック演劇は前衛的だが、彼は実験的という言葉を使う。実験はものに生命を与えるという。エネルギーと置き換えてもいい。驚き、恐れ、興奮、喜び、悲しみ……。たとえば、シェイクスピア晩年の傑作『テンペスト(嵐)』のブルック魔術を見てみよう。
  ナポリ王アロンゾー、ミラノ大公アントーニオ、顧問官ゴンザーローらを乗せた船が大嵐にあい孤島に漂着する。そこには魔法の達人で正統のミラノ大公プロスペローと娘のミランダが、空気の妖精エアリエルや魔女の息子キャリバンらと住んでいる。この嵐はプロスペローが仕組んだ復讐で、彼は弟アントーニオらの陰謀で追放されたのだった……。いわゆる超自然的な物語で、昔からさまざまな解釈があった。妖精や魔法が登場するため子供のためのスペクタクル説。20世紀に入ると政治やセックスにからめて深刻に解釈する傾向もあった。だが、ブルックは「この作品の奥底にシェイクスピアの精神が秘められている」と断言した。
  まず、ブルックの舞台装置は簡素で、長方形の内部に敷きつめられた砂、そのなかにポツンと置かれた石、そして数本の柱だけ。つまり観客の想像力に訴える方法をとった。こってりしたスープのフランス料理より、生の素材を生かした日本料理を採用した。淡泊ななかに、ふくよかな味の余韻が広がるような。
  そして、舞台に登場するのがアジア、アフリカ系を中心にした10カ国を超える多国籍の役者たち。主人公のプロスペローはアフリカ、ブルキナファソ出身の俳優ソティギ・コーヤテで、欧米俳優によるシェイクスピア劇とは趣を異にした。ブルックによると、欧米俳優は合理的なストーリーには強いが、非日常的な、目に見えない世界の表現力に劣るという。
  コーヤテはアフリカの歴史を伝える語り部の家に育ち、妖精や魔術が日常的な暮らしのなかにあった。芝居が進行するにつれ、哲学者のような容貌のコーヤテこそプロスペローその人だと観客は納得する。妖精にも土のにおいがする。こうして超自然的な空間から、この作品のテーマである「自由」が浮き彫りになる。自由を得るための葛藤、自由はひとつではないという真理……。魔術にかかったように観客は「嵐」に巻き込まれていく。
  1925年、ロンドン生まれ。オックスフォード大学在学中から演劇活動に入り、1946年、21歳でシェイクスピア記念劇場(現ロイヤル・シェイクスピア劇場)の演出家になった。「子供は常に現実とは別の世界に入りたがっている。私も想像と現実の世界を統合するために演劇の世界に入ったようなもの」と語る。
  1971年からパリに本拠地を移し、国際演劇研究センター(現・国際演劇創造センター)を設立、世界各国の俳優を集めてイランの古代遺跡ペルセポリスなどで野外劇『オルガスト』などを上演。『真夏の夜の夢』などのシェークスピア作品をはじめ、インドの叙事詩をテーマにした9時間の大作『マハーバーラタ』、チェーホフの『桜の園』は世界的な反響を呼んだ。
  映画監督も手がけ、ローレンス・オリヴィエ主演の『三文オペラ』(1952)をはじめ、『雨のしのび逢い』(1960)、『蝿の王』(1965)、『リア王』(1971)、『注目すべき人々との出会い』(1979)、『カルメンの悲劇』(1983)などがある。
  ブルックは女優のナターシャ・パリー夫人と、また、各国の俳優らと旅を続けてきた。知られざる世界に対する絶えざる好奇心。インド、アフリカ、そして日本も「神秘の国」という。知的合理性を追求するあまり閉塞状態に陥った現代。ブルック魔術は人間の心の底に潜む神秘の扉を開けてくれる。

小田孝治

略歴


1925
3月21日、ロンドンに生まれる

1943 オックスフォード大学在学中に「フォースタス博士」(トーチ劇場)で演出家としてデビュー。また、映画「センチメンタル・ジャーニー」を作る

1945 シェイクスピア記念劇場(現ロイヤル・シェイクスピア劇団)の演出家に迎えられる

1947 コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ劇場制作主任となる

1953 「三文オペラ」で映画監督としてデビュー

1962 「リア王」を演出(ストラットフォード、ロンドン、ニューヨーク) 

1963 “残酷演劇シリーズ”を始める

1970 「真夏の夜の夢」を演出
ロイヤル・シェイクスピア劇団を離籍

1971  パリに国際演劇研究センター(現国際演劇創造センター)を創設

1974 パリのブッフ・デュ・ノール劇場を本拠とする

1985 「マハーバーラタ」を上演

1988 東京の銀座セゾン劇場で「桜の園」演出のため初来日

1991 第7回京都賞を受賞

1997 高松宮殿下記念世界文化賞、演劇・映像部門受賞

主な演出作品と受賞  1962    「リア王」舞台(63年パリ国際演劇祭グランプリ)
1964    「マラー/サド」舞台(66年トニー賞)
1966    「US」舞台(66年ロンドン批評家賞)
1970    「真夏の夜の夢」舞台
               (70年ロンドン劇評家ベストディレクター賞)
1974    「アセンズのタイモン」舞台
               (75年パリ批評家賞、パリ演出グランプリ)
1975    「イク族」舞台(76年ベオグラード国立劇場グランプリ)
1981    「桜の園」舞台(81年パリ演出グランプリ)
1981、83 「カルメンの悲劇」舞台
               (82年パリ演出グランプリ、83年米国演劇批評家国際賞、
               84年トニー賞)
1983    「カルメンの悲劇」映画
               (84年イタリア賞、国際エミー賞、87年アメリカACE賞)
1985    「マハーバーラタ」舞台
               (86年フランス演劇批評家協会賞グランプリ)
1989    「マハーバーラタ」映画(90年エミー賞)
1990    「テンペスト」舞台
               (91年パリ・モリエール賞、ミラノ演劇評論家協会賞)

著 書(演劇論) 1968    「何もない空間」
1987    「殻を破る」
1991    「悪魔は退屈」
1993    「秘密は何もない」