ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

Dietrich Fischer-Dieskau

プロフィール

 18歳でシューベルトの「冬の旅」を歌い始めて以来、恵まれた声、精密な発声法、豊かな表現力、音楽と歌詞への深い理解力などで、他の追随を許さないバリトン歌手。ドイツ歌曲に対する貢献は世界的な評価を受けている。シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフ、シュトラウスなどの歌曲全集を手がけた。指揮者、著述家、大学教授、画家としても活動。93年に声楽家を引退。ベルクとベルリン在住。63年以来、何度も来日し、日本の声楽界にも大きな影響を与えた。

詳しく

ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウは、18歳でシューベルトの「冬の旅」を歌い始めて以来、恵まれた声、精密な発声法、豊かな表現力、音楽と歌詞への深い理解力などで、他の追随を許さない希有のバリトン歌手である。ドイツ歌曲に対する解釈、実践、理論、教育などへの貢献は世界的な評価を受けている。
  舞台での活躍はもちろん、録音活動は他を圧し、指揮者のカラヤンと並ぶ存在ともいえる。シューベルト、シューマン、ブラームス、フーゴー・ヴォルフ、リヒャルト・シュトラウスなどの歌曲全集を手がけたが、これだけの規模は最初で唯一の声楽家だ。
  指揮者としても活動した他、著述家としても1971年以来、数多くの音楽研究書を出版している。なかでもシューベルトやシューマンについての大著がよく知られ、声楽を学ぶ人の必読書となっている。今秋にはヴォルフに関する著書が刊行される。
  60あまりの役柄をこなしたというオペラへの出演は82年に、声楽家としての活動も93年にそれぞれ終止符を打った。現在は、ピアノ伴奏付きの朗読会をドイツ各地で開くなど独自の活動を続け、ドイツ語の美しさ、ドイツ文化の深さを伝えている。声楽の教師として後進の指導にも熱心だ。画家としても世界各地で個展を開いたほどで、今も毎日のように絵筆を握る。
  ワーグナーの庇護者でもあったバイエルン国王ルートヴィヒ2世が謎の死を遂げた場所として有名なミュンヘン郊外のシュタルンベルク湖。その湖畔に近い広大な別荘とベルリンの自宅とで、半々の生活を送っている。
  「生まれ育ったベルリンという都市は、私にいつも強い影響を与えてくれますが、自分の研究のため、外界の影響を断ち切って集中できる場所が必要でした。集中することは芸術にとって最も重要なことです」
  63年以来、何度も来日し、日本の声楽界にも非常に大きな影響を与えた。日本文化では特に「能」が好きだという。

略歴


1925  ベルリン近郊ツェーレンドルフに生まれる

1942 ベルリン高等音楽学校でヘルマン・ヴァイゼンボルンに師事

1945-47 イタリアで米軍捕虜抑留生活

1947 ブラームス「ドイツ鎮魂歌」でコンサートデビュー

1948 ベルリン市立歌劇場「ドン・カルロ」でオペラデビュー

1951 ザルツブツグ音楽祭デビュー(マーラー「さすらう若人の歌」)

1951-58 シューベルト「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」、ベートーヴェン歌曲集など録音

1954 バイロイト音楽祭デビュー(「タンホイザー」のヴォルフラム役)

1963 初来日公演(以来10回にわたり来日)

1968 ニューヨークで歌曲リサイタル(レナード・バーンスタイン伴奏)

1966-72 ジェラルド・ムーア伴奏でシューベルト全歌曲集を録音

1971 「シューベルトの歌曲をたどって」出版

1973 ロンドンで指揮者としてデビュー

1974 「ワーグナーとニーチェ」出版

1979  シューマン歌曲集を録音

1981 「シューマンの歌曲をたどって」出版

1983 ベルリン芸術大学教授

1993 歌手としてのステージ活動から引退

2002 高松宮殿下記念世界文化賞・音楽部門受賞
ベルリン、ベルクを本拠に活動

2012 5月18日、ドイツバイエルン州にて逝去